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梁川に移封させられた松前藩は、かなりの緊縮財政で、その経営は苦しかったと言われています。しかし、今までの場所知行制とちがい、米の収穫を藩政庁が集中管理し、蔵米によって財政を回していくという仕組みのノウハウを学ぶいい機会であったとも言われています。また、松前氏の一番のミッションは「蝦夷地復領」にありましたから、自らは質素倹約して「復領活動」に予算を回し、そして領民とはできるだけ事を構えないような政策をとったので、領民には人気があったようです。
この梁川時代に中心になって藩政を切り盛りしていたのが、筆頭家老であった蠣崎将監広年(波響)という人ですよ。 ( ゜∀゜)ゞ ![]() 蠣崎波響さんといえば、「夷酋列像」や、高龍寺の「釈迦涅槃図」などが有名で、とにかく画家として当時第1級の人でした。で、この梁川時代に、ばりばり絵を制作し、それを売って復領活動の資金にしていたわけですな。ですから、この時代に描かれたという波響さんの絵は結構多いそうなんです。 一方、幕府の直轄地となった蝦夷地では、ちょっとした騒動になっていたのですな。 1804年、根室にやってきたロシアの使節レザノフが、松前や長崎へと交渉先を先延ばしにされ、結局皇帝の国書を幕府が受け取らなかったことの腹いせに、根室などを攻撃し、戦死者が出る騒ぎがあったわけです。これを「文化露寇」と言っていますな。 また、1811年の事ですが、いわゆる「ゴローニン事件」という事件が起こったわけです。この事件というのは、この年にロシア軍艦のディアナ号が千島列島の測量にやってきたわけです。それで薪や水の補給を要求して、乗組員が国後島に上陸したのですが、以前のこともあるので基本的にお断りしたのですな。そしたら事もあろうに番屋から物資を略奪したのですよ。それで、艦長ゴローニン少佐以下8人の乗組員を逮捕したわけです。 それに対して副長のリコルドは、国後守備にあたっていた南部藩士隊と、ドンパチ砲撃戦をやらかして、本国に帰っていったわけです。当然ゴローニンたちは、松前に連行されて牢屋に入れられるわけですな。( ̄A ̄ ) ![]() で、話はこれで終わらない、翌年リコルドは、漂流していた6名の日本の漁民を乗せて、ゴローニンたちの釈放を交渉するわけですな。でも、それが認められなかったので、リコルドは「キレた」んです。ヽ(・_・;)ノ なんと、たまたま近くを通りかかった、高田屋嘉兵衛の商船「観世丸」を襲い、嘉兵衛以下4人の乗組員を拉致しちゃうわけです。それで、再びゴローニンとの交換を申し入れたわけだ。 そら~仕方ないと、幕府は交渉に応じ、ゴローニンと高田屋嘉兵衛の交換が決まったというわけですな。この事件があってから、ロシア船もあまり乱暴しなくなったそうなんですが、そのうちぱったりと姿を見せなくなったわけなんです。(☝ ◞‸◟)☝ 理由は意外と単純だと言われます。つまり、この頃は極東進出よりヨーロッパの情勢の方がちっとばかし大変なことになっていたからなんです。1804年にナポレオンがフランスの皇帝になり、西ヨーロッパを制圧するわけなんですな。で、ゴローニン事件の真っ盛りの1812年、ナポレオンはロシア遠征を行ったわけなんです。こりゃ大変と、極東の兵は、ヨーロッパ戦線へとまわさにゃいけませんわね。ヨーロッパの戦争に全力を注がなきゃいけないわけなんです。ですからロシアの脅威はとりあえず去った。というわけですな。 (= ̄▽ ̄=)V ![]() 当然のことですが、この情勢の流れは、オランダ商館長が幕府に提出する「風説書」でも伝わっていたと考えられますので、かねてから松前氏が接近していた、水野出羽守が老中首座になると、速攻で松前藩復領がかなったわけですな。で、1821年(文政4年)の事でありました。復領した松前藩は、さっそく藩政改革に取り組んだわけですが、警備を強化したため、今度は藩士が急増したので、財政的には大きな負担ともなったわけですなぁ。(’’;) 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
よく「いい女」とか「いい男」なんていう言葉が言われますよね。
てなところで、じゃ、「いい女」の規定ってのは、どこにあるんじゃ?と言うことから始めますとね、万人にとって「いい女」なんて、はっきり言ってあり得ない存在なんだと言う事なんですなぁ、これが。 ![]() たとえば、あたしの知り合いの、独身男子&彼女いない歴ウンヶ月ってヤツに、「ぶっちゃけいい女ってどうよ?」と訊いてみたらば、( ̄Д ̄;) あぽ~ん、という答えがけっこう返ってきたんですな。雑多でマニアックだから、要約するとこんな感じなんです。 *自分と価値観ていうか、趣味が合って、出来ればちょっとチチのサイズが標準以上で、テキトーに運動ができ、貞操的なんだけれど、夜にはなまら情熱的。美人過ぎずブス過ぎず、かつ愛嬌のある笑顔が可愛くて、自分のワガママを本質的に聞いてくれる人が理想* また、「婚活中」だという女子に、「結婚相手の理想って何?」と訊きますとね。 *年収はとにかく800万は超えていて、イケメンで、仕事ができる人。で、家庭や子育てには積極的に関わってくれて、家庭も仕事も一生懸命で、いつもあたしだけを見ていてくれる人が理想* ・・・・・・・・(  ̄ ̄∇ ̄ ̄; )・・・・・・・ゼッタイイマセン そうですね~「いい男」、「いい女」・・・・確かにビジュアルも大事だとは思うのですが、実は万人に好かれるビジュアルなんて、はっきり言って幻想ですな。これは断定できます。何故なら、人は必ず「老いる」からなんです。また、五十越えてすら年収800万以上もらえる人なんて、そうざらにはおりませんなぁ・・・。オヤジじゃない年収800万以上なんて、かなりヤバイお仕事のような気もしますがね(*`▽´*) ハード(外見)に価値を置く人は、いずれそのジレンマに泣くことになります。あたしの感覚だとね、「いい男」=「いい女」=「いい人間性」なのかな?とも思うわけです。あるいは「人生への構え」とでも言いましょうか。そんな感じなんです。だからといって「チャラ男」や「チャラ子」は、バカだねとは思うが、不思議と悪いとは思いませんな。何故なら、双方の理想のレベルがお手頃というか、「身の丈」に終始してるからなんです。 何度も「ブラック」に搦められそうになっても、自分から、「社会通念」に照らして「おかしいぞ?」と自発的に賢く考えられる男女が、それぞれ「いい男女」なのかも知れませんな。自分の人生スタイルをしっかり持てる強さというか、「生き方」のベクトルがしっかりしている男女こそ「いい男」「いい女」なのでございましょう。 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
さて、今回はシリーズものです。(= ̄▽ ̄=)b・・・・ゞ( ̄、 ̄@)マタカヨ・・・
文句言われちゃう前に、宣言しちゃいますと、以前、 ![]() 先日、松前町と姉妹都市関係を結んだ「福島県伊達市」の方々とお会いする機会がございました。なぜ松前と伊達市が関係があるのかというと、この伊達市は合併してできあがったマチでしてね。以前は合併前の「福島県梁川町」と姉妹都市関係にあったわけなんですな。で、なにゆえよしなを結んでいるのかというと、実はこの梁川というマチは、「松前藩」であったことがあるわけですよ。つまり、江戸時代に幕府が幕藩体制の中でフツーにやっていた「移封」というヤツですな。平たく言うと「国替え」です。 この時の幕府自体の情勢から、各大名は幕府の命によって、たとえば領地を召し上げられたりしていたわけです。日本史でも出てきますな「上知令」というやつです。19世紀初め、約15年間、幕府が蝦夷地を松前藩から取り上げて直轄していた時期があったんですな。その代わりにあてがわれたのが梁川9千石の領地だったわけなんです。ですから、一時期、松前の殿様がここに住んでいたというわけです。つまり、おなじ殿様つながりってわけで、その後松前氏がふたたび松前に復領したあとも、松前藩の「領地」として知行したから、明治の初めまで、まさに「同じ行政体」だったというわけ。( - 。-)b でも、実質石高が3万石近くあった、「蝦夷島主」の松前藩が、9千石というショボい「小名」に格下げされたわけですから、相当な理由があったはずなんですよ。さて、実は移封、復領に関しては、実は単なる郷土史ではなく、日本史や世界史の絡みで、ダイナミックな説明ができると言うわけなんですよ( ̄ー ̄)ゞ そもそも、なにゆえ幕府が、蝦夷地を直轄しようなどと考えたのか、その理由から考えてみましょうか。 その理由の第一にあげられるのが、「北方の脅威」であると言われてるんですな。で、その北方とはほかならない「ロシア帝国」なのでございますよ。 さて、世界史の教科書的に説明すると、18世紀なかばにイギリスで始まった産業革命は、ヨーロッパ諸国に市場拡大、そして植民地拡大の流れを作りました。各国は海外領土を求めて活動し、時にはぶんどり合戦の戦争なんかをちょくちょくやります。 ロシアはその中で、シベリア方面への領土拡大を図るんですね。つまり、ウラル山脈を越えて極東へと進み、当時の清国との間で、黒竜江を国境とするネルチンスク条約を1620年に結んで、沿海州を領土にします。その時に作られたマチの名前は、「ウラジボストーク=(打倒東方)」でございますよ。( ̄O ̄;) その後18世紀までの間に、アラスカだのカムチャツカだの、千島樺太に至るまで、ばんばん探検船を出してるんですね。そして、ロシア船は蝦夷地のあちらこちらで松前藩と接触があったんですな。こんなに頻繁じゃ人の噂に戸は立てられません(ㆀ˘・з・˘)b だけど、当時の松前藩の幹部がとった行動と言えば、「無かったことにしておけ」と、幕府への報告はしなかったわけなんです。 とうとう、このロシアの脅威を、仙台藩の医師である工藤平助が、「赤蝦夷風説考」として著したというのは教科書の通りなんです。ましてやですよ、1792年に、ロシア使節として、ラックスマンが根室にやってきたときに、やっと大事になったという案配です。しかも、この時の藩主だった松前道広公は、何も策をとらないばかりか、かえって傲慢な態度をとったため、幕府の松前藩に対する不信感は大きくなったわけですな。( ̄O ̄;) しかもこの頃、松前大島が大爆発して島が崩れ、大津波が沿岸をおそったり、大飢饉や不漁が続くなど松前藩にとっては、まさに存亡の危機に関わることが続いたわけなんです。 ![]() 幕府はこの頃からロシアに対する危機感を大きくして、盛んに蝦夷地探検を始めたり、目付を蝦夷地に派遣したりするわけです。近藤重蔵とか最上徳内、そして間宮林蔵とかが活躍するんですな。で、幕府の見解としては、松前藩だけに任せておいたなら、かなりやばいぞ。という印象を持ったわけなんです。田沼意次なんかは、蝦夷地を全部上知して、経済特区にしてロシアと貿易しようなんて計画を立てていたくらいでしたが、この計画は彼の失脚でつぶれちゃいました。( °A ° ) で、外国船は打ち払い、警備を堅くしなさいよ。と言ったのが、寛政の改革をおこなった松平定信さんなのです。この流れで、蝦夷地を段階的に松前藩から没収して、東北の諸藩に警備を担当させるという方針を打ち出したのですな。 幕府にとっては、何かと目障りな道広公は、1796年に江戸藩邸に永蟄居を命じられて、その翌々年に、幕府は蝦夷地の直轄を決め、松前藩は陸奥国梁川に移封させられることになったわけなんです。実質石高はほぼ半分になったため、およそ3分の2くらいの藩士がリストラせざるを得ない厳しいご沙汰だったわけなのですね。 (T∇T) 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
前回のブログでは、「無縁社会」という造語が、仏教用語本来の「縁」との混同があり、本質を見えなくしちゃってるんじゃないか?と言うようなことを書きました。なぜなら、縁とは、そもそも人がどう思おうと、そのままどんどん変化していくものですから、有るも無いも関係ないからです。
だから、「無縁社会」なんてあり得ないのです。こんな言葉でくくっちゃうと、身も蓋もなくなるってものです ゞ( ̄△ ̄#) あたしは、こういった「社会的孤立」は、近代思想が求めてきた帰着点だと思うのですな。NHKさんが言う「無縁」の縁とは、前も言いましたが、地縁や血縁、友情や愛情といったゲマインシャフト(伝統的共同体)が「無い」社会である。と言う意味合いが強いのと同時に、近代化と同時に人々が求めてきた、ゲゼルシャフト(利益社会)からも脱落しつつある人々のことを、指しているのかもしれないですな。そうなれば、「孤立社会」の仕組みが解ろうというものですよ。 ![]() 近代社会は、産業革命を境に、都市化や市場拡大を続けていきましたけれど、この経済システムの変化が、農村から人を都市に移動させたと言うのが今まで進んできた道です。ドイツの社会学者は、近代化とはこういった地縁・血縁共同体から利益社会に変化していくと指摘したわけなんです。高校の政治経済の時間とか、大学の社会学の基礎講座でも「ゲマインシャフト」「ゲゼルシャフト」は当然のように出てきますね。だいたい忘れてるかもしれませんが( ・∇・) ここまで触れると話がかなり大きくなりますから、「戦後日本」の社会変化から考えていきましょうか。敗戦直後の日本は、GHQ指令に基づく憲法改正により、「家制度」は否定されたんですが、「サザエさん」のような「大家族」はあたりまえにあって、言ってみれば「ゲマインシャフト」的だったのです。また、高度成長期になっても、政界・経済界全体が相互に支え合って、経済成長を進めてきたという歴史がありますなぁ。 しかしながら、経済高度成長は人口の都市集中を加速させましたな。で、人々の自由のベクトルは、田舎の地縁を嫌い、ライフスタイルの変化は「家付き・カー付き・ババア抜き」という言葉がこの頃はやったように、「核家族」というスタイルがもてはやされてましたから、「ゲマインシャフト」というのは言ってみれば「近代化への障害」という考えの人が多かったんではないですかね?と思うわけです (☝ ◞‸◟)☝ ただ、この頃はまだ、終身雇用という企業の制度が、言ってみれば「ゲマインシャフト」的な役割をしていましたので、言ってみれば、都市の中に会社という「ムラ社会」があったわけですな。日本の経済成長の奇跡は、都会の中に会社という「ムラ社会」を共存させたという事に尽きるわけです。ただ、当時の一部のインテリなんかは、都会はすでにゲゼルシャフト(利益社会)だと、ほざいていたものもいましたが、自分は下宿屋のぬるま湯に浸っていながら「孤独だ」とダダをこねていたに過ぎません。少なくとも、昭和の時代までは、社会のどこかに「ムラ」があったのですな。(-^∀^-) ![]() ところが、アメリカ生まれの「新自由主義」は、規制緩和、グローバリズムという黒船に乗って日本にやってきたわけですな。バブル景気もそうなんですが、これで社会ががらっと変わってしまったんですよ。つまり、バブルは「投機ブーム」を呼び込み、お金のある人は、生産に投資するのではなく、金が金を生むという旨みに群がってしまったわけなんですな。つまり、ホントのゲゼルシャフト(利益社会)がやってきたってわけです。 (゚Д゚≡゚Д゚) 規制緩和やグローバル化は、ハゲタカファンドを生み、先物取引を生み、実体のないマネーが社会を牛耳るようになりましたから、こりゃ大変。 企業には派遣社員が増え、地方は中央の大資本に完全にやられて、失業率が上がり地方都市からどんどん人が流れていきましたね。 不安定な雇用が多くなりますから、出生率も下がるし、帰るべき故郷には仕事もない。 こうやって、都市や会社は、だんだん「共同体」ではなくなってしまったわけですな。仕組みが複雑化して、社会全体が巨大なシステムになってしまったわけなのです。しかも、それを動かしているのは、まさに実体のない「マネーによる利益の追求」に他なりません。 ですから人々の「孤立化」の状況は、こういった社会的な変化の中で生まれてきたというわけです。(ㆀ˘・з・˘)b ドラッカーさんが、なんと戦前にこんな文章を残しています。 「一人ひとりの人間は、その意味を受け入れることも自らの存在に結びつけることもできない巨大な機構のなかで孤立している。社会は、共通の目的によって結びつけられたコミュニティではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌たる群集となった」 (『経済人』の終わり) 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
以前、「有無両縁搭」と言う記事を書いたことがありましたなぁ・・・( ̄-  ̄ )b
ここでも記したとおり、すべてのものは縁でつながっている。という事を端的に表した言葉であり、信仰である。と言うわけですな。 震災後、「絆」という言葉がクローズアップされて、何というのか、人とのつながりのようなものを過剰に求める傾向がございますな。ですが、この事において最近出てきたのは「無縁」という言葉です。 「無縁社会」という言葉は、NHKがTV番組の中で作り出した造語です。そもそもこんな言葉なんかありませんでしたけれど、最近ではどんどん独り歩きしちゃってます。 で、そもそもの「縁」とは何かを考えてみましょうかね。この言葉を聞くと、地縁だとか血縁といった、いわゆるゲマインシャフト的なものを思い浮かべる事が多いように思いますな。まぁ、NHKさんのおっしゃる「無縁」は、たぶんこれを捉えて言っているのでしょう。( ・∇・)b ![]() ところが元々使われていた「縁」と言うものは、実は「お陰さま」の世界でありましてな、そういったゲマインシャフト(伝統共同体)という狭い括りの感覚ではないのですな。 お陰さまの「お陰」とは、神仏や精霊に代表される、この世一切のはからいのことを言います。ですからこれを「縁」と捉えてることは、実に仏教的な考え方ですな。 したがって、各地にある「三界萬霊・有無両縁」の文字を記した「無縁塚」とは、単なる「行旅死亡者を埋葬」した「悲惨なところ」なんだという意味合いではなく、逆に、すべてのものはつながりがあるのだ。という事を、心に留め置く場所であると言うわけですな。 仏教においては「縁」という言葉は「因」とか「起」という言葉とセットになって使われます。つまり、「因縁」とか「縁起」です。これはもともと、サンスクリット語では「プラティーティヤ・サムトパーダ( pratitya-samut pada)」と言って、直訳すると「一切のものは因(直接原因)と縁(関係条件)とのかかわりで生じる」と言う意味です。これをまとめて漢語では「因縁生起」と訳してますな。これを縮めて「因縁」とか「縁起」とか言ってるわけです。ま、言ってみれば「マック」とか「マクド」みたいなもんですな( ・∇・)b ![]() ですから、ここで出てくる「縁」というのは、「因」のように自分に関わるものではなく、この世一切の様々な複合した「因」の集合体なのだという事が言えます。つまり、言ってみれば「縁」を形づくるのは「因」であり、そのために新しい因を生んで、それが果てしなく「縁」になると言うことです。 したがって、縁そのものは「自らの思い通りにならないもの=苦」というわけですから、仏教的に言えば、これが「有る」とか「無い」とかは関係なく「縁」に沿って生きるしかないのだ。という事になります。「有無両縁」とはこういう意味合いなのですよ。 したがって、あたしから言わせれば、孤独死などの問題は、むしろ「無関心」が生み出す社会的な「孤立」を意味するのではないかと考えますね。ですから、なぜ「孤立」するのかという「因」こそ探らねばならんでしょうし、こういった「孤立する縁」が生まれた社会背景こそ見るべきだと考えますね。ですから、「無縁社会」などという造語は、逆に理解が難しくなって、原因が見えなくしはじめている感じがしないでもありませんなぁ。 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
「羅漢」という言葉というか、あちこちに五百羅漢だの十六羅漢だの、いろんなものがありますけれどね、この「羅漢」というのは、言ってみればぶっちゃけ、「修行中の仏弟子」という意味あいなわけなんですよ。なんて言うんでしょう、ほとんど「仏陀」になりかけている「菩薩」よりは何というか、より人間的というか、俗っぽいというか、泥臭い仏弟子であるんですな。まぁ、言ってみれば仏弟子の「大部屋俳優」みたいな感じなのが羅漢という意味合いなんです。
さて、ここに紹介いたします「賓頭盧(びんずる)尊者」なんですが、この方というのは、十六羅漢の筆頭でございましてね、そらー、「神通力NO1」のすごい人だったらしいのです。この神通力を駆使してですね、在家の方々に対し、はんかくさいヤツをへこまし、弱い人を助ける奇跡を起こしていたらしいんです。 在家にとっては、なんと便利で素晴らしいお方なんだって、そう考えちゃいますけれど、なんと、お釈迦様はこの「びんずるさん」をがっつり指導しちゃうんですよ。理由は、「神通力を使いすぎだっちゅ~の!!q(`Д´●)弄んではイカン!! 」 という理由なんだそうです。日本各地にある賓頭盧尊者像には、ぺろっと舌を出した像が多いのですが、実は、この舌を出した像型は、「やべ、叱られちゃった」的な形を表しているんだそうですが、全体的に、叱られた子どもみたいな、実に親しげな表情をなさっている「羅漢様」ではございます。 だから「賓頭盧説法経」とは、この世の出来事は「あるがまま」なのだと言う事をせつせつと言ってますから、言ってみれば生意気な中坊に、金八先生が語った内容をいっているのかもしれません。なぜなら、実にわかりやすい一般向けみたいな経典だからです。 ![]() ただ、この羅漢様は、一般的には「なで仏」という名前で呼ばれておりまして、この像をなでると、頭がよくなるという民間信仰がありましてね、みなさん、この「びんずる様」の頭をなでるそうなので、どれもこれもぴかぴかになってるんだそうです。そのせいなんかどうか、因果関係は知らないですけれど、この羅漢第一「賓頭盧尊者」は、なぜか「びんずる様」になり、朱塗りの赤い尊像になっている事だけは確かですなぁ。 血脈桜で有名な松前町「光善寺」で、この御方にお会いできます。 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
あたしは、実は自分で料理を作ることが、意外と面倒ではないタチなんです、っていうかむしろ好きなんですな。しかし、カミさんに言わせれば、あんたの作るものと言えば、酒がらみ料理しかないじゃん( ◞_◟)☝アンタノハ、ツマミバッカリ
などと、とんでもなく無礼なことを申します ・・・(-A-メ) ですが、あたしの作るラーメンは、実はプロ並みだと自負しておりますし、先日も、なんと、郷土料理にも挑戦してるわけですな。先日も、まぼろしの海苔と言われる、「松前白神岩のり」を使って、「海苔だんだん」と創作の「海苔だんだん塩ラーメン」を試作してしまいました。 海苔だんだんは、だし汁を特製したり、中段には「松前漬け」を敷いて、磯の香り一杯の海苔メシに仕上げたわけですよ。こら~美味いし、贅沢です。 ![]() さらには、塩ラーメンの具に「白神海苔」を敷き詰めるという、とんでもないラーメンにしましたけど、これが、ホント、まともに美味いんですなぁ・・・(^∇、^ ) ![]() 潮の香りが何とも言えず、まるで「海水」で作ったラーメンのような絶妙な味と香りなんです。白神海苔をふんだんに使うと、かようにもおいしいものがシロウトでも作れるわけです。 ですが、この料理は美味いけれど、カミさんには不評です 「あんたの小遣いでやってよね (○`ε´○)!!」と言う案配ですよ。 というのは、実はこの白神海苔たるや、まともに買ったなら、1枚400円位する高級品でございまして、たとえば、フツーの塩ラーメンにこれをトッピングしたとしても、200円上乗せで「原価」だから、だいたい+300円ってな事になりましょうね。 だったら、たぶんこのラーメンは店ですと、1000円くらいで出さないと元が取れないという計算です。ですが、この料理は「白神海苔」だからこそ美味いのであって、そんじょそこらの岩のりじゃ、こんな味や香りは出ませんなぁ。 男の料理ってのは、「素材」にこだわりますからね、でないと楽しくないのです。したがって、コストは度外視。今は「ジャーマンポテト」に凝ってますが。まぁ、これも「酒のつまみ」そうすると、どうしても、ジャガイモやベーコンの質にこだわっちゃいますもんね(*`▽´*)b ![]() それと、やはり、調理器具にもこだわっちゃいますし、盛りつけする器にも目が行っちゃいます。この料理には「益子焼」こっちは「伊万里焼」だとか、やはりこだわっちゃいます。とにかく経費度外視。それと、後片付けもやんないし( ・∇・)・・・・・。 あ、カミさんの目線がなまら怖い・・・・・ (((((((((((;゚Д゚;) 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 北海道にも桜のシーズンが近づいてきましたね。松前町では29日から恒例の「松前さくらまつり」がはじまります。連休前半は暖かく、天気もいい予想なので、たくさんの人が訪れると思います。あたしも先日拾ってきた桜の枝を活けていたのが開花し、大山桜→南殿→染井吉野の順で、一足早く開花しております(= ̄▽ ̄=)V 観光課のとある方にお聞きし、その方独自の「極秘算出法」によると、今年の開花は5月1日~2日と「予言」していただきました。ちなみにこの方の的中率は、実に8割を超えているそうですから間違いないでしょう。連休には桜が楽しめますが、という事は松前公園では少なくとも5月いっぱいは、何らかの桜が咲いていることになりますな。ちなみに松前の桜は、大きく3期に別れ、「早咲き」(南殿・染井吉野など)「中咲き」(糸括・松月など)「遅咲き」(関山・普賢象など)の大きなグループがあるのでございますよ(`ー´〃)b ![]() 松前公園には250種1万本の桜の木がありまして、これらのグループがそれぞれありますゆえ、一番早く咲く「冬桜」から一番遅い「普賢象」まで、実に約2ヶ月近く桜が咲き誇っていることになるんですなぁヽ(・∀・;)ノ ここまでになっているのには、「花守」と呼ばれる、桜育成の専門家の方々の、年間を通してのたゆまない地道な活動によって、支えられている事も大事なことなんですな。特に有名な方は、接ぎ木によって増殖に努めて桜をふやした「鎌倉兼助さん」や、松前独自の品種を次々と改良していき、子どもたちにも「花守」の大事さと桜を愛でる心を育てた元松城小教諭の「浅利政俊先生」があげられます。まさに松前公園の桜の恩人と云える方々です。 ![]() 松前の主力の桜は、南殿(松前早咲)と言われる清楚な八重桜です。北海道の主な桜はオオヤマザクラ、カスミザクラ、そして普通に咲く八重桜と言った、どちらかと言えばピンクの色の濃い品種が多いのですけど、この南殿は実に清楚な色合いです。また、染井吉野のように枝一杯に、爆発的に咲くのではなく、ぼんぼりのようなかわいらしい花付きをします。これが松前の桜の優雅な雰囲気を出していますので、本当に桜の好きな方は毎年のように足を運んでくださいますね。(⌒ ⌒)(_ _) ![]() この南殿のルーツとも言える、松前一の老木が光善寺にある「血脈桜」という、樹齢200年以上の南殿(松前早咲)の巨木です。いきなり看板を見ると、墓地が並ぶ中で「血」の文字に、一瞬引いちゃう感じもしないわけですが、実は「血脈」というのは「けちみゃく」と読み、仏教用語です。つまり、「極楽浄土行きのチケット」と言えば判りやすいと思います。死にゆく人が極楽往生できるために、「血脈」をお経を上げた後に授けるわけです。ですから、この桜は「血脈を持った桜」ですよと言う意味です。 つまり、血脈を持つに至る伝説がこの桜にはあります。さっそくご紹介しましょうかね 【血脈桜の伝説を読みたい!!(= ̄▽ ̄=)V 】
かのルノワールという画家、ホントに、くそジジイになるまで「オレは裸婦を描きまくるんだ」と豪語していた人だったのですな。で、その作品たるや、ふくよかな女性美そのものを見事なまでに描き出していた。そんな画家でしたが、まぁ、ある意味世間一般から言えばただの「エロジジイ」といわれても仕方ないですなΨ(`∀´)Ψ
でも、ルノワールの作品を「エロ」と評価する人なんか、おそらく皆無じゃないんでしょうかね。 ![]() 日本で言えば、あの葛飾北斎にしたって、飽くなき「女体の美」を追求していたわけだし、何なんでしょうな、とどのつまり「表現活動」というものには、少なからずこういった「エロス」の要素も多少無ければ、それは芸術として意味をなさないのかも知れませんなぁ。なんせ、こういった芸術を含めた「表現」自体は、人の営みそのものの「全肯定」が基本にあると思うわけです。なんでも最近は素人でも「ヌード写真」撮りに来る人もいるようですからね。ボーダーがどっかで緩んでいるのかも知れませんなぁ。 ![]() ですから、時として、こういった芸術のような「表現」って、倫理との境目でどこかせめぎ合いながら、永遠の「阿修羅」を続けていくような気もしないわけではないんです。 まぁ、そもそも「表現」に境界を求める自体、ある意味無茶なことだったのかも知れませんね。 あたしが本当に「フリー」になった時に、もし「表現者」として生活する道を選択したとしたなら、どういう表現をするでしょうかねぇ(´ー`) お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。 ![]() 梶井基次郎っていう小説家の有名なフレーズなんですな。確か学生のころにはよく貪り読んで、裸電球の四畳半であ~でもない、こ~でもないというような、極めて青臭い文学論議とか哲学論なんかを、トリス片手に交わしていたような記憶もありますなぁ。 梶井の文章は難解であって、実際よくわかっていたのかどうかは疑問です。はっきり言いますと「わかる方がおかしい」くらいの世界です。ですが、今あらためて読んでみますとね、おぼろげながら感じる事ってのは、「現象に対する自分の感覚の根拠」とは何なんだ?という問いかけがみてとれるんですよ・・( ̄-  ̄ ) つまり、今、キレイだという感覚を素直に感じるためには、汚いものがそこに対で感じられないことには、この美しさなんて感じ取られるものかい!という、素朴な感情なんです。つまり、あまりにもキレイだと感じた自分のこの感覚の根拠は何だ?という問いでございましょう。で、なんちゃらかんちゃら書いてはいるんですが、結論はこうです。 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている! いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑のめそうな気がする。 つまりはね、キレイなものはキレイなんだから、素直にキレイだと、理由やら何たら何も考えることなく「ありのままに」感じなさいって事ですよ。 頑張れ東北 ![]() ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
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