by hidemaro2005
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何かの拍子に、「矢越岬」の探検を思い立った。何故かというと、人跡を阻む道路のない岬だからである。しかも、アクセス手段がない。
よく考えると、道南の観光資源は意外と「生産効率」が良くない。いろんないいものがあるのだが、「商品」にできてない。とは、よくいろんな人から聞く言葉だ。まぁ、いろんな観点があるので、ここで一概に「商品化」が良いと言うことではないのだが、過疎に悩み、さして産業があるわけでもない自治体の立場に立ちながら、ここでは話を進めることにしようと思う。 自然愛護だの動物愛護だのそういう立場からだと、頭に来る論もあるかも知れないが、ここは「愛護」などという余裕のない切羽詰まった人たちの立場に立ちながら、自説を展開していく事にする。 まず、今の社会は「経済」で動いている。人はみな豊かさを求めている。先細り悩む地方は何とか地域振興を求めるのだ。で、そこで共通項として出る言葉は「資源」という言葉である。「資源」とは、外から金が入るアイテムであるととらえることができる。 それが、鉱物とか農産物とか、観光とか、いろいろあるが、とにかく金が外から入るアイテムが「資源」というとらえである。だから、簡単に言えば「金のなる木」を何に置くかなのだ。 午前中、お付き合い仕事を終えた文化の日、時間が中途半端なので函館の自宅にも帰らず、西渡島の探索をふたたびしようと思った。悪天候なので、矢越はもともとムリ、せめて岩部までと思って行き止まりのドライブをした。 海岸の荒々しさは相変わらずだが、この先の認知度は、基本的に皆無だ。なんせ、道路はあるが定期バスはない。このあたりがもう一方の小谷石とはもっと違った秘境感がある。 対岸の風景も大事だ、向こうに見えるのは荒々しい白神岬の断崖、そしてむこうには竜飛崎の断崖だ。いくらむこうが「本州」だとしても、最果感はあるだろうが、悲壮な最果て感がないのが不思議な感覚だろう。でも、眼下の海は果てしなく澄んで美しい。こんなに荒れていながら、底が見える海はものすごい透明度だ。 女郎岬、女郎が身投げたという伝説があるけれど、どこのどんな女郎で、どの遊郭にいたのかは不明。福島に過去、女郎屋があったのか?松前の女郎なら白神から飛び込んで十分だし、函館なら遠すぎる。でも、深くは詮索すまい・・・。伝説は、ああそうか。で済ました方がよほど夢がある。研究じゃないのだからそれで十分なのだ。 ところが、、この女郎岬に行くすがら、ものすごいものを発見した。 それは滝だ。 みなは知らないだろうが、道南では滝というのはあまり多くない。しかもしょぼい滝が多いのだ。<各市町観光協会の人へ(⌒ ⌒)(_ _)> 道南で「見上げる滝」というのはそんなに多くない。浦和という集落を抜けると一気に寂寥感が増す。いくら、この先にマチがあるとしても、行き止まりというのがわかっているといやがおうでも最果て感が増す。なんせ、あの突端には車で行けないのだから・・・。 覆道を超えたとき、いきなり目の前に巨大な滝が視界に入った。しかも、幾筋の細い水の繊細な滝だった。 こんな滝あったっけ? わきに立て看板があった「白糸の滝」おお、(ノ°ο°)ノ 確かに名前に裏切らぬ見事な滝だ。ただ、前に通ったときはこんな見事なものではなかったが・・・。ああ、ここ数日の雨で増水したからね・・。しかし、この滝は見事としか言いようがない。私はしばし見とれていた。 だが、ここに来るのには、公共交通はない。タクシーというチャーターの手段しかないというのが本当だろう。・・・・だけど、この突端には集落があって、人が生活しているのだとしたら、この人たちの生活のあり方は?と、ふと考えてしまった。ほとんど無人に近いのではないのかという予想も何となく感じた。 福島側の矢越海岸は、やはり秘境感が知内側よりは強い。基本的にはどちらも同じなのだろうが、さまざまな要素がそこに介在するのだろう。ひょっとしたら、このような違いは、「人や社会が作っている」ような気もしている。未だに陸路ではこの矢越海岸の先には行くことはできない。だが、公共交通では、この陸路の果ての岩部までも着くことはできないのだ。それが、たとえ1日数本ほどでもバス路線がある知内側の小谷石との雰囲気の違いなのだ。 人々は便利さを追求してきた。だが、その一方で「不便」への憧れもある。便利に慣れた観光客は、便利さを求める層とそれから逃れたい層が二極化しているのが現状だろう。 そうなれば、あえて不便にすることで、観光資源としての価値が生じる可能性がある。「なかなかいけないところに行く」 そして、それを発信するのだ。今の観光客は、ブログやtwitterのような発信手段を持っている。そして、あえて、「特殊性」を求めてそれを発信したいというニーズが密かに生まれつつあるのだ。 しかも、それは極めて贅沢なニーズであり、そういうニーズを持つ人は、そのことに対する投資を惜しまない・・・。つまり、特殊性に投資をする層が生まれているのは確かだ。 これからは「知識社会」の時代を迎える。観光産業も、旗もって連れて行かれるニーズは、現在の悠々自適記念写真ジジババで終わりを迎えるだろう。 これからは知識社会に見合った、「特殊性」のある「わざわざ出かける価値」を求める観光になるだろうと何となく根拠がないがそんな予感を持った。 では、「わざわざ出かける価値」とは何なのだろう。
by hidemaro2005
| 2010-11-08 23:37
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