by hidemaro2005
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以前、「有無両縁搭」と言う記事を書いたことがありましたなぁ・・・( ̄-  ̄ )b
ここでも記したとおり、すべてのものは縁でつながっている。という事を端的に表した言葉であり、信仰である。と言うわけですな。 震災後、「絆」という言葉がクローズアップされて、何というのか、人とのつながりのようなものを過剰に求める傾向がございますな。ですが、この事において最近出てきたのは「無縁」という言葉です。 「無縁社会」という言葉は、NHKがTV番組の中で作り出した造語です。そもそもこんな言葉なんかありませんでしたけれど、最近ではどんどん独り歩きしちゃってます。 で、そもそもの「縁」とは何かを考えてみましょうかね。この言葉を聞くと、地縁だとか血縁といった、いわゆるゲマインシャフト的なものを思い浮かべる事が多いように思いますな。まぁ、NHKさんのおっしゃる「無縁」は、たぶんこれを捉えて言っているのでしょう。( ・∇・)b ところが元々使われていた「縁」と言うものは、実は「お陰さま」の世界でありましてな、そういったゲマインシャフト(伝統共同体)という狭い括りの感覚ではないのですな。 お陰さまの「お陰」とは、神仏や精霊に代表される、この世一切のはからいのことを言います。ですからこれを「縁」と捉えてることは、実に仏教的な考え方ですな。 したがって、各地にある「三界萬霊・有無両縁」の文字を記した「無縁塚」とは、単なる「行旅死亡者を埋葬」した「悲惨なところ」なんだという意味合いではなく、逆に、すべてのものはつながりがあるのだ。という事を、心に留め置く場所であると言うわけですな。 仏教においては「縁」という言葉は「因」とか「起」という言葉とセットになって使われます。つまり、「因縁」とか「縁起」です。これはもともと、サンスクリット語では「プラティーティヤ・サムトパーダ( pratitya-samut pada)」と言って、直訳すると「一切のものは因(直接原因)と縁(関係条件)とのかかわりで生じる」と言う意味です。これをまとめて漢語では「因縁生起」と訳してますな。これを縮めて「因縁」とか「縁起」とか言ってるわけです。ま、言ってみれば「マック」とか「マクド」みたいなもんですな( ・∇・)b ですから、ここで出てくる「縁」というのは、「因」のように自分に関わるものではなく、この世一切の様々な複合した「因」の集合体なのだという事が言えます。つまり、言ってみれば「縁」を形づくるのは「因」であり、そのために新しい因を生んで、それが果てしなく「縁」になると言うことです。 したがって、縁そのものは「自らの思い通りにならないもの=苦」というわけですから、仏教的に言えば、これが「有る」とか「無い」とかは関係なく「縁」に沿って生きるしかないのだ。という事になります。「有無両縁」とはこういう意味合いなのですよ。 したがって、あたしから言わせれば、孤独死などの問題は、むしろ「無関心」が生み出す社会的な「孤立」を意味するのではないかと考えますね。ですから、なぜ「孤立」するのかという「因」こそ探らねばならんでしょうし、こういった「孤立する縁」が生まれた社会背景こそ見るべきだと考えますね。ですから、「無縁社会」などという造語は、逆に理解が難しくなって、原因が見えなくしはじめている感じがしないでもありませんなぁ。 頑張れ東北 ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2012-05-08 22:26
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