by hidemaro2005
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まぁ、旬を過ぎた話題ではございますが、オウム真理教の最後の指名手配犯、高橋克也容疑者が逮捕されました。
しかしですな~、オウム事件から十数年、今じゃこの事件の存在すら知らない若者が多いというじゃないですか。なんでしょう、こうなると実に隔世の感がありますな。 オウム真理教が華やかなりし頃、教組の麻原や上佑などの幹部は、「自分たちは仏教徒だ」と公言しており、なんやらムカついたのを覚えております。q(`Д´●) こいつらのおかげで、宗教というか「仏教」自体がキワモノみたいに見られたというか、こいつらをさんざん持ち上げた当時の「マスコミ」自体に不信を感じたもんでした。マスコミは「絶対的に正しいものではない」という事をはじめて実感できたのもこの頃です。 まぁ、世の中自体「バブル」で浮かれていた時期でもありますから、何とも言えませんけれどね、しかしながら、良い悪いは別にして、こういうサブカルチャーがいつの間にか市民権を持ち始めたって、そんな時期なんでしょうなぁ・・・( ̄-  ̄ )y~ でも、こんな時なんだからこそ、原点に帰って、「じゃあ【仏教】ってなんなの?とか、それで「オウム」とは何だったのかね?という事を素朴に考える事があったって良いんじゃないか?なんて思うわけです。 そもそも、お釈迦様が開いた「仏教」というものは、キリスト教とか、イスラム教みたいな「聖典」みたいなものなんてないんです。仏教とは「ブッダ=覚った人」が説く教えというスタンスですから、「(覚った人=ブッダ)がこういう事が真理なんだよ」という提案でしかありません。 あくまでも「悟る」のは自分なのだから。という立場です。しかも、お釈迦様に限らず、覚ったらみんなが「ブッダ」になれると説いたのですよ。オウムの修行とか御布施なんてモノはこの辺を悪用したもんなのでしょうね。<( ̄^ ̄)> ブッダとは、この世は一切が「思う通りにならないものだ」という事を単純に「覚った存在」なのですな。これを duhkha (ドゥフカ)と言いました。それが中国に伝わって「苦」という文字があてられたんですな。 さて、お釈迦様=ゴータマ・ブッダは、根本的な「苦」は4つあるんだと言ったわけですなぁ。つまりは、 1、人は自分の境遇を選んで生まれてくることはできません。 2、生まれたその日から、老いるという現象から逃れられません。 3、病気にならないものなんて絶対にありません。 4、死なないとか、滅ばないものなんてありません。 という根本的な「自分の意思ではど~しようもない」ものがあるんだという事実を知りなさいよ。と説いたわけです。で、これを「四苦」といいます。 ですが、人として生きるうえでこのほかに、さらに追加オプションで4つありますよ。というわけですなぁ・・・( ̄Д ̄;)ノノ 5、遭いたくないなぁと思う人に遭っちゃうこと 6、愛しい人といつかは別れなくちゃいけないこと 7、欲しいと思っても、手に入らないということ 8、これらのどうしようもないことを、何とかしたいと歎き苦しむこと これらオプションを含めて「四苦八苦」といいます・・・・・( ̄O ̄;)サイアク デスナ ですから、このようなものだから、どうすれば良いんだろうね?ということを説いたのがお釈迦様の「覚り」だというわけですな。決して「麻原マーチ」を歌う事じゃないんですよ・・・(ㆀ˘・з・˘)b これを「四諦」といいます。「諦」というのは「あきらめる」と呼びますけれど、実は「明らかなもの」という意味です。4つあるんですが、実にシンプルですね。 1、私たちが生きてる世界は、自分の思う通りにならないものですよ・・(苦諦) 2、それを苦しいと感じる理由は、それが思う通りになると考えている(煩悩)からですよ・・(集諦) 3、それなら、その考えを上手くコントロールできたら、心が楽になりますよ・・(滅諦) 4、コントロールするために、あなたが実践すべき方法(八正道)があるので、実践してみなさいよ・・(道諦) という簡単なことなんです。これを「苦集滅道」という言葉で表しています。ですが、実を言うと、これだけでもまだ完結編じゃないよ。という深い考えが、仏教自体にはあるんですなぁ。それは、またの機会に。(・∇・)ノ お気に入りいただけたらお願いします ↓ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2012-06-25 22:17
| 仏教
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