by hidemaro2005
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今年は五稜郭築城150周年にあたるそうなんでございます。先日も何か、ギネスに挑戦して世界記録作ったとか何とか、お祭りムード全開ばりばりでございます(^▽^)
という事もふまえてなんですが、あたしたちの「五稜郭」のイメージってのは、桜とか成吉思汗とか、授業抜け出してさぼったところ。くらいのものしかないのでございますけれど、実はものすごく蘊蓄かませば、すごい場所なんでございますよ。まぁ、築城から現在まで、意外と知らない「五稜郭」をひもといてみることにしてございます。 オイオイ(ㆀ˘・з・˘)ノマタシリーズカヨ・・*`・∀・´)ノ さて、五稜郭の正式名称なんですが、箱舘奉行所を囲む「亀田御役所土塁」という事らしいのですが、当時の古文書によれば、「柳野城」、「奥の台場」という呼び方もされております。そもそも、なにゆえこのような洋式土塁を作ることになったかという経緯はいったいどんなことなんでしょう、という話になります。 安政元年(1854年)、当時の江戸幕府は日米和親条約を結び、下田と箱舘の二港を開き、薪水、食料の補給を認めます。その際、松前藩から箱舘一帯を上知して直轄領とし、箱舘奉行を置くわけなんです。で、外国船が堂々と行き来するもんですから、こら~松前藩とか南部、津軽藩にも指令して、矢不来とか戸切地とか、弁天崎(今のどっく前)なんかにも台場とか陣屋を作らせて、警備体制をとったわけなんでございます。 で、肝心の「箱舘奉行所」と言えば、当初は函館山の麓にございまして、こんな所にあったんじゃ、とてもじゃないが外国船の大砲でドンパチやられたら、たまったもんじゃないところにあったんですな。ですから、これじゃいかん!(*`・ω・´)ノってことで、郊外の亀田村に奉行所を移転しようじゃないかって事になったんです。 奉行所の回りには当然ながら「防備施設」を作ることになるんですが、なんなら、西洋の脅威に備えるわけだから、西洋式の防御施設にしようじゃないか(  ̄3 ̄)b てな感じで、その頃にヨーロッパ各所にあった「稜堡式要塞」をコピーしたって言うのが本当のところなんでございます。 つまり、奉行所自体はそのままだけれど、その外郭は「西洋式」にすることで、「おまいらには負けないぞ(*`・ω・´)ノ」という意地を、健気にも幕府は諸外国に見せつけようとしたわけでございましょうな。 それでってんで、じゃあその時、時の蘭学界で注目されていた「稜堡式要塞」を回りに巡らせたらどうなんだ?てな感じにしたんでございます。鎖国から覚めたあとの蘭学者の勢いは、そら~すさまじいものだったんでございますよ┐(  ̄∀ ̄)┌ まぁ、見た目にも結構カッコイイ感じだったもんですからね。やはり、開港地である箱舘の役所としては、このくらいのものを諸外国に見せちゃうぞみたいなものがあったんです。で、たまたま箱舘諸術調所に教授として赴任していた武田斐三郎に、奉行所の外郭を設計させたというわけなんでございます。 ですから、当時ヨーロッパ各所で作られていた無死角稜堡の設計がなされたんです。それがペンタゴン(五角形)だったところで、五稜郭の名がはじめて生まれたわけなんです。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 密林shop DVD 本 スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください
by hidemaro2005
| 2014-06-18 00:28
| 函館・道南
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