by hidemaro2005
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さて、前回ちらっと出た話でございますが、人の存在は何をもって存在といい、何があたしなの?って言う素朴な疑問でございます。
ざっくりいうと、実は五つの要素でできており、これをひっくるめて仏典では、「五蘊」と呼んでおります。まず自分の肉体であるとか目に見える物体、聞こえたり味わったり触れることで認識できる言ってみれば「形あるものとか現象」でございます。で、この肉体や実体のことを「色(しき)」と呼びます。 あたしたちは、これをもって自分のすべてだとも思うんですが、どっこいそれだけでは存在とは呼べません。 これらを見たり聞いたりする「事」がなくては存在とはいえません。で、この感覚のことを「受(じゅ)」といいます。 さらには、それが何であるか、たとえば丸いとか四角とか、堅いとか柔らかいとか冷たい、熱いなどという認識がないと存在とはいえません。で、このことを「想(そう)」といいます。そして、それに反応する作用があります。快と不快、痛いとか、そういう反応のことです。このことを「行(ぎょう)」といいます。 そして、喜怒哀楽のように自分がどんな心の状態にいるのかを認識することこれを「識(しき)」といい、ぶっちゃけていえばどれがかけても「人の存在」ではないと言われています。人間の心身の活動全体のことであり、たとえば死んだ人はこれらがなくなっちゃいますよね。 蘊とは集まりを意味しています。人はこれら五つの要素の集まりなんだという意味です。実は、思うとおりにならない「苦」は、この五蘊があるからだとブッダは言っておるんですな。この五蘊である存在が生み出す苦こそ「煩悩」と呼ばれるものなのでございます。 この煩悩の根源をさらに示すと、三つの毒に突き当たるんでございます。それは「貪」「瞋」「癡」の三つで、それぞれ「むさぼり」「怒り」「無知」のことを言います。 人の心はこれらの三つに支配されやすいものなんでございます。際限なくものをほしがったり、また物惜しみして独り占めしたくなることがよくございましょう。今の世の中はこの心をうまく使い、次々と流行を生み出して、人々は爆買いなんかにも走りますよね。スーパーのバーゲンとか安売りなんかもそう、これらの物欲は限度を知らない。こういう状態がまさしく「貪」なわけです。 で、当然だれもがみな際限なくものをほしがると、そこには当然不公平や奪い合いが始まります。不平不満もこれに応じて、際限なく大きくなってくるんでございますよ。当然ながら怒りの心が生まれます。しかもそれは欲からきた、まったく自己中な怒りでございますな。それが「瞋」という状態。まさしくケンカや戦争の原因でございます。 で、こういう事が愚かで無駄なことだと気づかず、意固地になってやめられない。というか、むしろ、そうすることが正しいとさえ思って、破滅に向かって盲目的につきすすんでいる状況。それが「癡」というわけでございます。「五蘊である存在」はともすればこういう煩悩を生み出すのだと言うわけなんでございます。 般若心経では、これは実体がないと気づき、こだわりを無くしたら、これらの苦や厄いをコントロールできる、と言っているわけなんですな。それが、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」というフレーズの意味なんでございます。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 密林shop DVD 本 スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください
by hidemaro2005
| 2015-10-02 23:39
| 仏教
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