by hidemaro2005
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では、聖徳太子が「法華経」・「勝鬘経」・「維摩経」の3つをチョイスしたのは何故なんでしょうということを考えると、憶測なのですがさまざまな思惑が見えてとれます。というか、仮に聖徳太子がこれを本当に選んだとしても、また、のちの為政者が「聖徳太子がこれらを選んだ」という事実にした方が「都合がよい」というという前提で考えてみたとしても実に面白い関係が見えてくるんですな。
まず「法華経」なのですが、正式名称を「妙法蓮華経」と言います。これは仏典の中において一番最後に説かれたブッダの最高の教えであると位置づけたのは、隋の時代の僧である、天台大師智顕でございました。教義的にざっくり言うとこういう感じになります。 すなわち、法華経に説かれている最高の真理は「諸法実相」です。これはどういう事かというと 「この世の中に存在するすべてのものは、そのままが真理のあらわれ」 と受けとめる立場をいい、そのように感じられたとき、それを悟りというわけでございます。ですから我々が雑草とか虫けらといって日頃顧みないものにも命があることを心にとめる必要があるというわけでしょう。 この悟りは、座禅や写経、また一心に読経することなどを通じて、自分の心を静寂に保つことにより体得しうるという教えです。自分の心を静かに観察すると、その心に対応して外の世界があり、心の動きの中に全宇宙があること、すなわち一瞬一瞬のうちに永遠を生きていることが実感できるというわけですな。ぶっちゃけていえば、「迷いそのものの中に悟りがある」すなわち、悩みや苦しみがあるからこそ、その彼方に生きる喜びがあり、日常生活そのものの中に悟りがあるんだよ。ということです。 生まれたり死んで行くその現実をそのまま受け入れられるところに過去・現在・未来の三世にわたる命を知ることができることを法華経では教えているんでございます。 十七条憲法の中に「篤く三宝を敬え」というくだりがあるのは、「日常に仏道を取り入れよ」という法華経の真義があったと捉えることができるわけでございます。この考えが生まれたのが隋の時代ですから、同時期に生きている聖徳太子もこの「日常に仏教が合致する」という考えに気がついたと考えるのはごく自然でもあり、だからこそ聖徳太子の国際的な思想の革新性に驚かされるわけでございます。というより、こういった思想体系、政治理念がこの頃の東アジアの社会においては「先進思想」であったのだろうと考える事ができるわけです。 さらに言うならそののちに続く勝鬘経は、敬虔な信徒である勝鬘夫人(シュリーマーラー)のブッダに対する誓願の文言であり、また、維摩経にいたっては悟りを語る存在そのものが維摩大人という在家そのものの「悟り」を表した内容であるところに、ある意味仏教を宗教と言うより「政治理念」としての位置づけを図ろうとした聖徳太子の意図が感じられるわけなんでございます。 つまり、「上から目線」ではないということなんでございます。 ただ、最近の歴史研究では、「聖徳太子」そのものの存在が疑問視されていることから、ひょっとしたら、個人の偉業であると言うより、古代日本に仏教を定着させるための壮大な政治プロジェクトだったのではないかとも考えられるわけでございます。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2016-06-15 22:32
| 仏教
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