by hidemaro2005
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2022年 05月 2021年 11月 2021年 07月 2021年 03月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 04月 2020年 03月 2019年 12月 2019年 10月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 最新のトラックバック
検索
タグ
フォロー中のブログ
外部リンク
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
|
享和元年(1801年)幕府の役人であった福居芳磨が記録した『東夷周覧』では、当時の箱館の様子や生活の気質を次のように記している
此処の人物奢侈を好み生活にうとく性質惰弱なり。然れども諸国より商船出入し、諸国の産物坐ながらにして之を得、又蝦夷地産物等を以て諸国へ鬻ぎ、金銀の徳多き故、人心自然と奢るものとなるは人情のならはせによる。故に此所に生立たる者は、金銀自由なるに任せ微の利を事とせず、唯遊興歓楽にのみ身を持ちなす故に、富商となるもの寡し。他国より来りて生活をなすものは、財の得難きを知りて、他国に用ゆる力を此所に用ゆる故卒には富商となりて身を安くなすは、時勢の然らしむる所なり。 此所のもの他国より来りて稼業をなすもの多しと雖も、多くは近江、能登、越後、越前、加賀、南部大抵は此国より来ると云ふ。 これを現代語に訳すとこういう意味になる。 ここ(箱館)の住人は、贅沢を好んで暮らし向きを大事にせず、軟弱な気質のものが多い。しかし、諸国から商船が出入りしているので、産物が居ながらにして集まって来る。また、蝦夷地の特産物を諸国に売り、金銀をたくさん得られるものだから、自ずと贅沢になることは人情としては無理からぬ事だろう。 だから、箱館に生まれ育った人は、お金をただ湯水のように使い、ただ遊びまくるためだけに使うので蓄財できない。そのため、大商人になるものはきわめて少ない。 それに対し、他国から箱館に移り住んだ者は、お金がなかなか得られないと思っているので他国で働いてきたように、この地でもせっせと働くから、ついには大商人となり身を起こしている事はすこぶる当然のことだ。 ここで他国から来て稼業を成している者は多いといっても、その出身地の多くは、近江(滋賀県)、能登、加賀(石川県)、越後、越前(新潟県)、南部(青森/岩手県)の出身の者だそうだ。 19世紀初頭の函館の人々の様子はこのように描かれている。さんざんな言われようだが、この頃の函館はずいぶん景気が良かったということを示している。この頃の函館は、幕府が松前藩から東蝦夷地を没収し、函館が産物が豊富な東蝦夷地の支配拠点となっていたため、幕臣も常駐。交易が盛んになり、たくさんの人が富を求めて函館に移り住み、商売をしていた。松前、江差にはまだ及ばないものの、この頃にはすでに函館は立派な都市であったと言える。それも、降ってわいたような景気良さだった。 だが、よそから入ってきた者がどんどん豪商になっていくという点は、何となく現代を示唆してならない。 函館は過去に何度も「好景気」を味わってきたマチだとおもう。開港もしかり、北洋漁業、大戦景気、北洋漁業の再開、高度成長期での造船景気、そしてバブル景気にはじまる土地投機と観光ブーム・・・・。だが、どれもみな、「外からの動き」のような気がする。 次に来る函館の「好景気」は、自らが光ることになるのか。ただの「新幹線開業効果」だけに終わるのか・・。正念場だと言えばそう言えなくもない。 にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2011-01-11 20:02
| 函館・道南
|
ファン申請 |
||