by hidemaro2005
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これはズルイと言われるかも知れないが、自分自身「良い、悪い」という評価基準を自分が定めることにある意味怖さというか、傲慢であると感じている。できないのだ。
何をもって「よい、わるい」を決めるのか。 ここにその評価に対し「絶対と相対」が別れるのだ。簡単に言うと、私にとって良いか悪いか。おそらくこの世の人の評価はこれに尽きるのではないだろうか。あるいは、自分が所属する「コミュニティ」にとって「いい、悪い」の世界なのではないだろうかと言うことだ。 仏教ではこれを「分別」と呼ぶ。この分別が煩悩の種になるというのだ。あれがいいこれがいいと考えるから、人はそこで迷いを生じる。般若心経には、この世の一切はすべて空なりと説いている。つまり、比べるモノなどそもそも何もなく、良い悪いという概念すらもともとありもしないものなのだ。比べるべきモノが本来ないのだから、比べて良い悪いなどと考えること自体そもそもない。という事なのだ。 今、周りを見回せば「利害」のかたまりである。 私は聖人ではないから、それはあたりまえだと思う。逆に、それだからこそ目標があっていいのだと思う。つまり、人は「欲」からは逃れられない存在だと思うからである。目標は「欲」である。また、こうやって肉体を持っている以上、「欲」からは絶対に逃れられないのだ。 ならば、その欲の評価基準をどう持つか。それがたぶん命題なのだと思う。仏教、特に禅や密教は「天然自然」「尽十方界真実」というように、宇宙の現実に真理を求める、それに対してきみはどうなのか。という命題だ。しかし、じゃあ、それが正しいという事はどこから来るんだ?というもっと突っ込んだ話になると、もはや、言葉では表せない世界になる。しかも、本当にそれが真実とは限らない。私に言わせれば、たとえ、稚拙なイデオロギーであっても、その人が信じるのであれば、それはその段階において、その人の心においては、絶対の真実になってしまうのだ。だから、宗教やイデオロギーは、他から批判するべきモノではないと最近思うようになった。 真実に「相対」はなく、その人の心の世界において限りなく「絶対」なモノなのだ。 だから、共存しか手はないのだろう。互いに各々の思いが絶対である以上、これがあるものは優れてあるものは劣るというような相対的なもので人を語るべきではないという事なのだ。 だれにも与しないけれど、だれの敵になる気はない。こんなスタンスは認められないものなのだろうか・・・。そんなことを最近とみに感じる。 お気に入りいただけたらお願いします ↓ にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2011-02-15 01:01
| 哲学
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