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ところで、ここまでマグロの「今」を調べていくうちに、もっと知的な好奇心が湧いてきました。人は勉強すると好奇心が湧いてくると言うのは本当のことです。だから、子どもは「得意な科目」をうんと勉強させた方が、学力は伸びるのかな?そんなことを考えてしまいます。ま、この話題はほかの機会にしますが、私が感じた疑問は、「日本人はいつからマグロを食べていたのか」なのです。
なぜなら、このようにテクノロジーや職人技で支えられているマグロの味は、いったいいつから日本人は知っていたのか、ましてや、なにも処理しないマグロを食べていたのかという疑問に突き当たりました。 ![]() 私自身、このようにデリケートな食材であるマグロは、意外と明治あたり、ヘタすると昭和になってからなのかも知れないなとタカをくくっていました。ところが、さにあらずでした。じつは、道南一帯の縄文時代の遺跡や貝塚から、鮭、マグロの骨が出土しているんです。つまり、縄文時代からマグロは食材として食べられていたし、津軽海峡や噴火湾には豊富にマグロが棲息し、それを獲って食料として人々は暮らしていたわけです。ですが、おそらくは、縄文時代の丸木舟で、たまたま獲れた小型の若いマグロを獲っていたと考えるのが妥当でしょう。あの巨大なマグロは、おそらく丸木舟で獲るのは不可能だと考えられますからね。この頃は生で食べたとも考えられますけれど、兜焼きのようにまる焼きにして豪快に食べたのかも知れません。 平安時代に制定された「延喜式」(=今で言えば「法令・規則」のようなもの)には、マグロはいわば「下等魚」の部類として表されています。しかし、この根拠は仏教の影響によるもので、この頃の魚は白身魚が上物で、言ってみれば血の匂いがする獣肉に近い赤身のマグロはむしろ下手物に近かったのかも知れません。しかしながら、ときの帝にも出された食材であったことは、記録があるからには確かです。ただ、この出し方はあくまでも膾(なます)として料理されたものであったことがわかっています。 江戸時代には、駿河湾でのマグロ漁の詳細な文献も見られるように、漁業技術が発達し、マグロ漁が盛んに行われ、一般的にマグロが食べられるようになってきたようです。 巨体のマグロが大量に獲れるようになると、一回ではとても食べきれません。ですから、どう長持ちさせるかの知恵が生まれます。江戸時代に生まれた知恵は醤油につけること。言ってみれば「ヅケ」です。江戸時代のマグロの食べ方の主流は「ヅケマグロ」だったわけです。 ところが、今珍重される「トロ」は脂が多くてすぐに傷むから、ヅケには不向きです。だから、江戸時代のマグロはヅケにならないトロは、なんと捨てていました。「トロ」が復権するのは、冷凍技術が進んだ昭和になってからのことです。 ![]() 今では高級品のトロは、明治・大正期にはいわば「下手物」で、マグロと言えば「赤身」だったのです。だから、寿司屋でも高級店は赤身しか出さない。逆に大衆店の屋台の寿司屋(今で言えば回転寿司)なんかが「トロ」を握って出していました。ですが、昭和に入って冷凍技術が発達すると脂がのった「トロ」の人気が急上昇したというわけです。マグロの好みにも歴史があるわけですね。 ここまで一般論でレポートしましたが、マグロは本当にさまざまな「偶然」で成り立っていると痛感しました。マグロの味や生産工程ばかりでなく、実は「流通技術」もあるのだと言うこと。そこまではレポートできませんでしたが、たとえそこの漁港で揚がったとしても、適切な工程で処理されたと認められなければ「ブランド」にはなり得ないという事も、実は漁業の世界は「経済学」の世界でもあるのだということ。そして、その味は様々な「縁」によって実に偶然にある味であること・・。まさに、食に対する「ありがたさ」を実感いたしました。「南無~~」 頑張れ東北 ![]() お気に入りいただけたらお願いします↓ ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ■
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by hidemaro2005
| 2011-10-02 17:36
| 函館・道南
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Comments(2)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
鍵コメント様
松前勘解由の墓は、松前町の「法憧寺」の墓地内にあります。松前勘解由については、調べたこともありますので、詳しい墓所の情報も合わせ、近いうちにご紹介いたします。
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