by hidemaro2005
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さて、前回は「棒二森屋」のお話をいたしました。まぁ、あたし的に「ボーニ」と言ったら、屋上の遊園地やら、レストランのお子様ランチに付いていた緑色っぽい「四角いゼリー(おそらく寒天)」だった気がいたしますな。( ̄∀ ̄ )b
特に美味いというわけではなかった気もしますが、オムライスとか、お子様ランチに必ず付いていたような気がします。しかも、かならず「日の丸」が立っていましたな。余談になりますが、この頃ボーニの前には、よく松葉杖ついた「傷痍軍人」みたいな人がアコーディオンとかハーモニカ吹いて、通行人から「日銭」いただいていた光景がありました。 こういうまだ戦争が生々しかった時代、お子様ランチには平気で日の丸が立っていたのに、後に「子どもに日の丸見せるな(*`・ω・´)ノ」と、わけもわからず、未だに主張してる某団体のセンセ~達の感性が、ある意味可笑しくもあります。 しかしながら、十字街にございました「丸井今井」もなかなか思い出がございます。何と言っても、あの鉄格子まる見えの「エレベーター」でございますよ。当時、丸井に行ったらば、エレベーターガールのお姉様が、「3階、紳士服売り場でございまぁす」などと言いながら、ガチャンとハンドルを操作するんですな。( ̄▽ ̄;)・・・それがかっこよくっってたまりませんでした。二重の格子扉もなんだかメカニックでかっこよかった記憶がございます。十字街の丸井は、それがとてつもなく楽しみでしたね。 この「丸井今井」でございますが、実は本店が札幌にありましてな、創業が明治5年になります。その後、滝川、室蘭、旭川、小樽とチェーンを広げまして、函館に呉服店として支店を展開したのが明治25年のことでございます。その後、札幌本店が「百貨店」としてグレードアップしたのにともない、大正12年には函館支店も3階建ての店舗を4階建てに増築、玄関に大理石をあしらい、地上28メートルの「近世復興式」の一大高楼を備えたわけです。しかも、催事会場、理髪店、美容室なども備えた、本格的な「百貨店」としての威容を、地元老舗や函館市民に見せつけたわけです( ̄O ̄;)ノノ このように丸井さんの函館への支店展開は、かなりの力が入っていたようでございますな。まぁ、金森森屋とのライバル意識があったと思われますが、いわば、「地元伝統資本」対「広域新興資本」との勝負だったのでございましょう。この対抗図式を考えれば、函館地元老舗の金森森屋が、地元で元気のいい棒二萩野とタッグを組もうと考えるのは至極当然なことかとも推察されますな。これは勇断でしょうが、それだけ、広域展開攻勢をかける「丸井今井」は、地元にとっては脅威だったのだと想像が付きますなぁ( ̄△ ̄;) 棒二森屋の戦略は当たりまして、まぁ、大門がやがて繁華になっていくわけですから、棒二は、大門のいわばフラッグシップとして君臨することになるわけです。ですから、十字街の凋落と共に、丸井今井の函館での商圏は縮小するのですが、丸井さんは「地元」でない強みゆえ、やがて「五稜郭」エリアへ移転するわけでございます。ここで、また大きな転機が生まれるわけですな。当時は「函館副都心」などと言う言葉が使われましたな。丸井さんが五稜郭移転を果たした時、地元のスーパーである「ホリタ」が、本州資本の「ダイエー」と資本提携して、丸井のど真ん前に「ハイショップホリタ」を展開したのです。どうも「デパート」は、同じようなライバルが近くにいると、むしろ相乗効果があるという原則があるようですな。 まぁ、その前に、棒二森屋の駅前進出に対抗した、地元資本が、「彩華デパート」や「和光デパート」を立ち上げるのですが、それは後日の「大門編」にて(・Д・)ノ ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
by hidemaro2005
| 2012-11-29 20:56
| 函館・道南
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