by hidemaro2005
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中国の古典には、時として「帝道」「王道」「覇道」という言葉が出てまいります。どちらも「上に立つ」っていうか、いわゆる政治みたいなものに関わるでしょうし、そこには「支配観」のあり方みたいなものが関わってきましょう。
ざっくりこの違いを漢籍の出典の違いから考えてみることにいたしますと、この3つが並列して出て来るのは、司馬遷が編纂した「史記」でございましょう。古来中国で考えられていたこれらの概念とは、まず「帝道」=天下を治める道 、「王道」=国を治める道、「覇道」=人を治める道。という事になりましょうか。 史記の中においての有名な話で行きますと、秦の時代、商鞅という国師が、秦王に対し、今後のあり方としてまず帝道を説くわけでございます。天然自然の神の視点においてこの天下に視点をもてというわけですから、そら~遠大できわめて概念的なものでございます。むしろ「哲学」といって良いでしょう。まさに「天帝」と同格の視点でございます。並の人間には理解しきれませんでしょう。史記では王は退屈してあくびを漏らした(´Д`) と書いてます。 それで、商鞅は、一段下げて「王道」を説きます。つまり、王の人徳や国の経済の豊かさ、幸福度を上げることで国を豊かにせよと言うわけでございます。人もうらやむ国づくりをすれば、おのずと国は栄えますよ。という事を説いたわけなんです。で、秦王はどう言ったかというと、それじゃ時間がかかりすぎてすぐに結果がでないではないか。(*`・ω・´)ノという事になったわけでございます。 つまりは、すぐにでも結果が出る方法。「富国強兵策」を採る。強大な武力ですぐに結果を出そうという「覇道」で行こうじゃないかという事になるんでございます。まぁ、言ってみれば力技でございましょうな。 まぁ、結果として秦はその後急成長を遂げまして、中原を武力で制し、「始皇帝」が誕生いたしますが、結果として覇権国家は長続きせず、50年と持たずして秦朝は滅亡いたします。すぐに出る結果というのは、持続可能性がうすい ということでございます。実を言うと、こんな事に気がつかない状況が、昨今見え隠れいたしますな。実に愚かなことでもございますし、また、これが業というものなんでございましょう。 したがって、そんなものすらも離れた天下も何もない、全くのあるがままにあってよいではないかという「仏道」が何のはからいもなく、犍陀多が墜ちていったあとの、一筋の蜘蛛の糸として、そこに何気なくあるんでしょうね。 あ、全国的になんか「学力ランク付け」にうつつ抜かしてるのをぐちゃぐちゃ言ってるわけじゃ決してないんですよ・・・(〃゚0゚)b・・・ネンノタメ ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 密林shop DVD 本 スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください
by hidemaro2005
| 2014-04-16 00:50
| 哲学
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