by hidemaro2005
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さて、前回は「苦集滅道」のそれぞれの「真理」を知りました。つまり、苦集を明らかにし、「滅」の状態(心の平安)を得るには、方法がある→「道」というところまで来ました。では、その「道」とはいったいいかなるものなんでございましょう。という課題に入ります。 道諦。すなわち、道を明らかにすると言うことなんです。まぁ、これは言ってみれば、心得とか、方法というようなマニュアル的なものになっちゃうんですが、たとえて言えば武道のように「防御攻撃」の技を体系化して「道」というものにまとめ、剣道とか柔道とかという「修道マニュアル」のようなものであるのかも知れません。前も言いましたが、仏教ではその人生訓というか、悟りに至る道をマニュアル化したのが「八正道」というものなんでございます。ざっくり言うと、 「正見」「正思」「正語」「正行」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つの道です。 すべての頭に「正」の字がついているのは、『三法印』で学んだ真理(諸行無常=すべての物事は必ず変化する、諸法無我=すべては関係しあって存在している)に沿ったという意味がこめられています。 物事を自分本位に、あるいは固定観念によって見たり考えたりせず、すべてを平等にいかす事が肝要なのだということを示しているのです。 正見→ 自分中心の見方や偏った見方をせず、物事を正しく見ること。 正思→ むさぼる心や怒りの心、我を押し通す心を捨て、すべてを正しく、大きな心で考えること。 正語→ うそ、二枚舌、悪口、でまかせな言葉のない正しいものの言い方をすること。 正行→ 意味なく動植物の生命を絶つ、盗みを働く、道ならぬ男女の過ちのない正しい行ないをすること。 正命→ 人のため、社会のための正しい仕事で得た収入で、衣食住の生活必需品を正しく求めること。 正精進→「精進」の「精」は「まじり気のないピュアなこと」という意味で、自分がめざす正しい目的や目標に対して、一途に努力しつづけること。 正念→ 常に正しい心をもち、正しい方向に心を向けつづけること。 正定→ 心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。 これらを心がけ、精進したあかつきには、必ずやさとりの境地に至るであろう。というのがこの本旨でございます。たしかにその通りなのかも知れません。立派だものね。なかなか出来ることじゃあございませんもの。 でも、はて、ホントにそれだけでいいのかな?とか、マジにそれって追求しきれるか?だからできないふつ~のヤツは、心の平安なんか無いのじゃないの? これって「差別主義じゃね?」というジレンマに陥るのでございます。 戒律や修行には結局こういった矛盾が生じます。ブッダは誰もがなれると言うけれど、これってなまらハードル高くねえかい?ッてな感じになるんでございますよ(  ̄3 ̄)b つまり、修行や善行そのものが「目的化」することの弊害でございます。ゴータマ=ブッダが苦行に対して本質的な意味を見いださなかったのはこういう点にあります。ですから、般若心経では、ばっさりと、これすら「空」なのだと説いておるのでございます。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村密林shopDVD本スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください
by hidemaro2005
| 2015-11-05 21:23
| 仏教
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