![]() by hidemaro2005
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2019年 02月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 最新のトラックバック
検索
タグ
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
最新のコメント
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
|
ただ、「密教」に関して言えば、最澄はその前提において、役小角や空海には及ばないのが彼の置かれた状況では致し方ないものでございました。でございますから、最澄はやがて、密教の正統を丸ごと継いで唐から帰国した空海を「密教の師」と仰ぐことになるのでございます。しかしながら、最澄は当代最高の学僧でございます。真に会得し空海と同じレベルに達するには、前行も含めてそれに充てる時間が少ないほど多忙の身であったのでございます。密教教典を、最澄の求めに応じて快く貸してきた空海も、やがてこの点について指摘します。いわんや根本教典でもある「理趣経」の解説書の借用を求めてきたときに、空海はこれをがっつり断るのです。
![]() その理由は、密教秘法を会得するに必要な行を修めず、経文の字面だけで真義を得ようとする事は不可能だというわけです。ましてや、理趣経は字面だけを追うだけでは到底会得できない「大楽・全肯定」の秘法でございます。一歩間違えば誤解と混乱を招きかねない内容なのでございますから、空海は安直には貸すわけに行かなかったのでしょう。実は、今回の記事の大きなテーマとしてこの「理趣経」も絡んでくるのですが、いきなり本題に入らないのは、あたし自身も空海の考えに通じるものがあったからなんでございます。 空海の詳細に入る前に、もう少し最澄が取り組んだ事をまとめてみることにします。実を言いますと、現在日本における「寺院仏教」というものは、大きく分けて3つの源流から派生したものであると言えるのです。一つは蘇我氏や聖徳太子、鑑真らが確立した奈良仏教の派生。いわゆる南都六宗(三論宗・法相宗・成実宗・倶舎宗・律宗・華厳宗)で、「顕教」という呼び方で言われるような、言ってみれば仏典解釈が主の「学問」に近い宗派。そして、空海による真言宗。これは「密教」と呼ばれ、加持祈祷や厳しい修行に代表される流れ。そして、最澄が開いた比叡山の天台宗から派生した鎌倉仏教とも呼ばれる「民衆仏教」の流れ、これも大きく分けて、念仏系(浄土宗・浄土真宗・時宗)、禅系(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)題目系(日蓮宗)の三系統に大きく分けることができます。 さて、前にも述べたように、最澄の「天台」から派生した念仏・禅・題目の三つに共通するのはどういう概念かというと、五時八教論に基づく「法華経」の尊重、すなわち諸法実相=すべてのものはみなそのまま真理であるという観点でございます。 ![]() これがたとえば絶対他力や悪人正機の念仏になり、只管打坐の禅になり、法華経絶対信仰としての題目として、民衆が簡単に「諸法実相」や念仏、座禅、唱題目といった易行徹底にもとづく「止観」の獲得を可能にすると言った、だれもが難しいことを考えなくても、修行できるという教えに発展し、知識階級や貴族だけではなく、一般民衆にも仏教が浸透したのでございます。これらの始祖である、法然や親鸞、道元、そして日蓮をも輩出したのが他ならぬ比叡山延暦寺でございます。むろん、比叡山の天台宗自体も円仁、円珍らによって「天台密教」という流れが確立され、空海の真言密教とは別の密教体系が生まれたのでございます。俗に言う「台密」と呼ばれる系統でございます。こういう意味から言っても、最澄が開いた比叡山延暦寺は、わが国における最初の「仏教総合大学」とでも呼べるのでございます。この教学養成システムを作り上げたことが、最澄最大の功績であると言えましょう。最澄が「伝教大師」と諱されたゆえんでもございます。 ![]() ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2016-07-25 22:33
| 仏教
|
Comments(2)
hidemaro2005様、いつも書き込みありがとうございます。REWSPROVでございます。
普段はレスするには少々むつかしいテーマが多くなかなかこれまで書き込めないでおりましたが、真言密教vs天台密教、円珍等の名前が出てきたので、今日は私の知ってるところを書かせていただきます。円珍感応の三井寺・黄不動という有名な仏画がありますが、それを巡るお話です。 あれって実際はどうやら真言宗が法力でもって次々と有力貴族を獲得する中で、ぶっちゃけ焦った天台宗側が捏造したもののようです。 「どうやら真言宗のキモは『お不動さん』っちゅうのんで、それで色々やってはるみたいどすな~」 「何やそれは!?もちょっと詳しゅう聞かしてみぃ!」 「噂では普通の仏さんとちゃいますのんやって。怒ってて剣持ってて頭は螺髪とはちゃうみたいどすなぁ~。」 「それや!それ、すぐに何とかせぇ!早よわしの前にサラシ出さんかい!」 ・・・・・・こんな下世話な会話があったかどうかは分かりませんが、天台宗側は対抗するため慌ててお不動さんをほぼ想像で作り上げました・・・・・・と言いますのも、御承知とは存じますが、仏像の姿形・様式には厳しく決まりがあります。もちろんお不動さんにもあって、肌は青黒く、目はひんがら目で半分つぶれ、犬歯が上下に飛び出す(これらは下層民の姿を模したとも言われます)、光背の代わりに火炎を背負う・・・・・・等々、これは空海が唐の国から持ち帰った当時の最新テクノロジー、今で言えばICチップの設計図並みのトップシークレットでした。 さて黄不動、身体は黄色いし、両目は見開き、牙は両方とも上向き、光輪らしき輪っかを背負っています・・・・・・全然違う。恐らく今で言えば産業スパイみたいなんも放って必死で情報収集に努めたんでしょうが、結果出来上がったものは粗悪な中国のコピー商品もブッ飛ぶ内容でした。美術品としての価値はともかくとして。 こうして見ると、日本の仏教史もとても人間臭くて楽しいですね。
Like
さすがでございますな。
書き込み有り難うございます。 あたし自体は、真言密教の奥にも、たとえば神道にからんだり、その奥には大きな経済的な民衆の勢力があったり、近年のなんとか党とか会派とか、そういったものを越えた何かを最澄と空海の対比に思えたわけでございます。ですが、最澄学派は考えれば仏教の「一般化」に貢献したわけで、考えれば結構人間くさいところもあります。また、空海がもたらした大日経と金剛頂経は密教の根本ではございますが、いわばヒンズー教に代表されるインドの多神教との妥協のもとにできた思想でもございます。したがって、これが日本独自の「神道」=多神教との融和を可能としたのでしょう。でございますから、本地垂迹説に見られるように、実に本邦の信仰体系と合致したのかも知れません。空海の優れている点はそこにあるわけです。このことは今後の展開にご期待ください。煩悩そのものを肯定するこの根本が、REWSPROV様の作品制作に同感した所以でもあります。今後の制作に期待しております。
|
ファン申請 |
||