by hidemaro2005
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大同元年(806年)、空海は20年の留学予定を3年足らずで切り上げて帰国します。この行動も当時の規定からしますと相当な掟破りの特別扱いになります。このあたりも国家以外の「何らかの勢力」が絡んでいるだろうとは十分推察されるのでございます。 さて、空海が持ち帰った「正統の密教」というものは、いったいどんなものなのかひもといていくことにしましょう。空海は密教のほかにもたくさんのお土産を持ち帰っています。私度僧上がりのいわば「亜流」で唐に渡ったわけですから、国家公認の留学僧であった最澄とは違い、たくさんのお土産が必要であったことは言うまでもありません。 これにはむろんのこと修験道関係の要望もあったろうと考えられることです。経典や仏具仏画のほかに、儒教・道教・卜占・医学など、当時の最先端の文学や技術に関わる書物や知識や技術を持ち帰っておるわけでございます。まさにカルチャーセンターの基を持ち帰ったわけですから、空海を支援したであろうバックボーンの勢力も、おそらくはおおいに満足の行く成果だったといえましょう。 それはさておき、空海の持ち帰った密教の教義において、二つの原理が説かれております。その第一が「即身成仏」という考え方でございます。空海が説いた本義とは、成仏(さとり)とは来世で得るものではなく、今生において得ることができるという意味でございます。 つまり、父母から受けた現実のこの身体をもって目覚めたもの(ブッダ)になり、自らのうちに仏を体現するという姿勢と考え方でございます。具体的には定められた正しい行を積んで密教の根本思想の象徴でり、宇宙の真理そのものを表した仏である「大日如来」と一体になることで、自らのうちにひそむ「宇宙の真理」を見いだそうということでございます。 伝記ではこれらに反発した僧たちの中、空海自身が嵯峨天皇の御前において自らが真言を唱え、大日如来に化身してみせたという逸話も残っております。まぁ、これはいわゆる「盛った話」ではございましょうが、当時の雑密をはじめとした修験道サイドの組織的なPR作戦であったのは、紛れもない証左ではございましょう。 そして第二にあげられるのが「鎮護国家」の修法であるとしています。つまり、密教の目的とは何かということを示すわけでございますな。鎮護国家とはすなわち、およそ密教を行じるものはその目的を、「現実救済」にあるとしました。つまり、行者の法力は人々の救済のために使われるべきものであるという経世済民の考え方でございます。 おそらくは空海の唐への派遣の真の目的は、こういった修験道と重なり合うこの目的達成を図ろうとした、役小角や行基につながる一群の存在が考えられるのでございます。この部分の推理は後に置いておきますが、悟りとは何のためにあるのかという出発点であり、悟りの目的とは現実の生活を営むものたちを、あまねく分け隔て無く救済することであるというわけでございます。でなければその悟りじたい何の意味も無いと言うことでございます。 鎮護国家というと、現在のような権力の保持や国民国家安寧をイメージすると思うのではございますが、この時の「国の敵」は何かというと、現在の「国防」の相手というようなイメージではなく、むしろ「天災」「社会不安」「疫病」「飢饉」といった、人の力では到底いかんともしがたい「災害」を鎮め、これらから守るべきものが「日常の平和」であり、その言葉こそが「鎮護国家」という事であったと考えられるわけでございます。 そして、これらの根本になるものは、こういった「天変地異」にあっても絶望することはなく、必ず救済や好転があるのだという「心の平安」なのでございます。それこそが不安の原因ともなるべき諸事情に対し、「調伏」や「加持」といった安心を与え、それを期してわが心と「安心」を同一するために「祈祷」や「荒行」が、大日如来の真理を自己の物とするために行われる。そういうシステムが日本においてやがて確立されていくのでございます。 これこそまさに「修験道」のめざした鎮護国家のあり方ではなかったかという事は、想像を行うに十分に値することだと思うわけですな。 *注)この内容は、資料に拠っていますが、あくまでも筆者の推論に基づいています。
by hidemaro2005
| 2016-09-24 20:40
| 仏教
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