by hidemaro2005
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お久しぶりでございます。というか、こんないい方は「読み手」が勝手にいるのだという思い上がりに過ぎませんね。まぁ、日付が、前回に比べすすんでますんで、「こいつさぼったな」というのが、実は正解なんでございますがね・・(^▽^) さて、今回たいそうなテーマに取り組んでみることにしました。というのは、あたし自身「ひろさちや」さんという宗教学者に、かねてから興味がございまして、その著作もあまた読ませていただきました。 宗教というと、なにやら辛気くさかったり、あぶないんじゃないか?とか、よくわかんないよね?というようなイメージがつきものなのですが、この方の著作はこういった「宗教全般」をホントにわかりやすく解説してくれてるなぁ。という印象を持ちました。まぁ、ホントに理解されてるから「わかりやすく」説明できるんだなと思います。あたしもそれにあやかろうと、「解説」に取り組んでみることにしてみたというのが、今回の「発心」でございます。つまり、あたしが思ったのは、「宗教」はそもそも何故できたのかという問でございます。 こいつは、極端に言えば、シャーマニズムなど原始宗教から始まるのですが、そもそも、「人間にはどうしようもないおおきな力が、関係なく存在してるんだよね」という自覚からはじまり、人間が自分がちっぽけで愚かな存在なのだと言うことをあらためて「自覚できる」事から始まるわけなんでございます。このスタンスがないとこの課題は語れないと思うのですな。 さて、いままで「野狐禅」だの「六道輪廻」だの、あるいはイスラムとかなんとかかんとか御紹介していきましたけど、やはりつまみ食いの「解説」でございました。そこで、今回は手始めに「仏教の宇宙観」について考える事にしてみましょう。そもそも「仏陀」とは何なのだ?と言う素朴な問からはじめます。 「ブッダ」とは「目覚めた人」というサンスクリット語に由来します。ではその人は、何に「目ざめた」んですか?という事になるのが、仏教の基本のラインなのでございます。 よく言われるのは、カピラパストゥの王子「ゴータマ・シッタールタ」が出家、古代インドの各宗派に学び、さらには苦行の末に、「諸行無常・寂静涅槃」を悟り、「中道」を解いて「ブッダ」となったのだ。というストーリーが一般的でございます。 ですから、当初の「法句経=スッパニータ」や「涅槃経」などでは、ゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えや行動が、十大弟子の口伝をもとに編集されている形をとっています。したがって、上座部仏教の主な目標は、これらを手本に自ら修行し悟りを求める「聖者=阿羅漢」になることでございました。つまり、第一の「仏弟子」である事を望んだわけです。 ところがこの事に疑問を持った一派がおり、こう考えたわけです。「ブッダ」はいったい何のために悟ったのだろう。という事でございます。おそらくはこの宇宙の真理を悟り、人々が心の平安をつかみ、誰もが「悟る」事を手助けすることなのではないか?というように考えたのです。つまり、人々の心の救済こそ必要で、誰もが悟ることが出来ることを目標にすべきではないのか。と言う考えでございます。これを「大乗=大きな乗り物」というたとえで彼らは考えたわけです。 したがって、「ブッダ」は何も「ゴータマ(釈迦)」だけではなく、過去にも未来にもおり、「真理となるもの」は常にそこに存在する。と言う考えを持ちました。この象徴となるのが「毘盧遮那仏=マハー・バイロシャナ」という存在です。しかも、もともとインドの哲学には「ブラフマー=梵天」というすべての真理があるという考えがあり、本来の宇宙そのものとしての存在「大日如来」という概念がありました。 わかりやすく言うと、毘盧遮那は「太陽」あるいは「銀河系」で、「大日」は全宇宙という概念です。それをビジュアルで表したのが「曼荼羅」であると考えてみるといいでしょう。したがって、全宇宙、銀河及び太陽系地球、それぞれに「ブッダ」がいて、それを取り巻く様々な存在がいるんだよ。という概念を表しているのです。それがすなわち「金剛界」「胎蔵界」の両曼荼羅と呼ばれるものでございます。 そこまで考えてみると、「何が良くて何が悪い」「何が美しくて何が醜い」レベルの事なんてどうでもいいような感覚になってくるから不思議です。 さて本題に入りましょう。そもそも曼荼羅とは、すべてのものはみな関わり合って存在しているのだと言う、仏教の根本理念を表したものです。しかも、本家の「曼荼羅」は砂で描かれるもので、儀式が終わるとその曼荼羅自体はあっという間に消滅させるべきものとしているのです。まさに「諸行無常」の世界でございます。 で、曼荼羅の世界では仏(ブッダ) は、宇宙仏、理想仏、人間仏の存在がある事を示唆しています。すなわち、それぞれの世界レベルのあらゆる場面で「真理」があるのだということです。 密教という概念は、この「宇宙仏」に出会うことなんでございます。ここまで来ると量子力学的な要素まで入っちゃいます。ですから、並みの人間ごときが理解できる言葉じゃないって言う事なんですな。 つまり「宇宙の真理」なんてあたしらごときの理解力なんかじゃとてもじゃないが、言葉として理解できないのさ。ってな感じなんでございます。ですから、密教では敢えて意味不明にも聞こえる「マントラ=真言」という形式を採るんですな。そう、たとえば光明真言、「オン・アボギャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドラマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」というような、「わかんないけど有り難い」のだよねってな世界です。 それは、理解できなくとも「現象としての事実」は確かにそこにある。という事がポイントなわけでございます。つまり、「むしろわからない方が本質的にわかっているのである」というスタンスです。つまり、「真理」を前にして、ごちゃごちゃ考えるなよ、オマエの理解力なんかメチャちっちゃいんだぞ!って徹底的に打ちのめされるわけでございます。 しかしながら、実はこういった「天然自然の前では無力な存在」である事を心身共に実感することから始まるのが「密教」であると考えると、それは至極合理的な発想ではないかと思うのです。こうなるとそもそもの根源を探る量子物理学と共通するものがあるようにも思います。すなわち、極論かも知れませんが、物理学の数式と曼荼羅はほぼ同じ概念であるとも思えるんでございますな。 *しつこいようですが、この内容はあくまでも個人の見解に基づいております。。。*`・∀・´)ノ ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2018-06-08 21:46
| 仏教
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