by hidemaro2005
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さて、前回までのお話で、曼荼羅の描く世界には、金剛界と胎蔵界の2種類があるとお話しいたしました。直訳的な解釈で言うと、金剛界は悟りの智慧が揺るぎない形として存在しているんだよ。という世界です。言ってみれば「外向きの真理」とでもいうことでしょうか。そして、胎蔵界とはあくまでも心の内面、つまりは母の胎内のごとく衆生の心やあり方を護る世界のあり方である。ということです。 すなわち「内面の宇宙」とでも言いましょうか、宇宙図で言えば、太陽を中心とした太陽系の秩序とかでございます。もっとツッコんで言えば大地と大気、そして水に護られた、あたしたちの地球とでもなぞらえられるわけでございます。ですから、金剛界曼荼羅の中にはあらゆる種類の胎蔵界曼荼羅が存在しているという様を描いているわけでございます。 これらはすべてが関わり合い、繋がりあってひとつの世界を形づくっているのであるという、「縁起」というものを、視覚的かつ概念的に表現したものが「曼荼羅」であるわけでございます。 そもそも「縁起」というものは、ダルマ(धर्म Dharma)というレベルでの概念と、カルマ( कर्मन् karman)というレベルでの概念に分けられるのではないかと感じております。すなわち宇宙の創成(ビッグバン)も含めたあらゆる法則も「縁」から成り立っているとすれば、これらも含めてダルマ(金剛界)というものであると考えられます。 すなわち 「大宇宙の法則」「自然界の営み」「神の意志」 というようなものであり、それも含めて「縁」の中に存在しているのだという考え方です。しかし、そのような法則はあれど、その法則に伴い様々な変化は生じるものであり、その生み出す「現象」は縁によって「因」を生み出すのでめまぐるしく変化しそれが連鎖して一定の形にとどまることはない。という事がどうしても生じてきます。すなわちこの事が、カルマと呼ばれるものではないのかと思うのでございます。 「諸行無常」という言葉がございます。狭義で考えれば、無常なのはこの「カルマ」のもたらす「因」と「果」であるともとられますが、「縁」自体も無常であるとするなら、この宇宙の法則自体も、それによって変化し続けている、無常の中にいると大きく捉えることもできましょう。そういう大きな「生命体」の一環として、あたしたちがここに存在しているのだというわけです。さて、そういう概念に再び立ってあらためて「曼荼羅」を紐解いてみましょう。 胎蔵界はそう考えれば、あたしたちが普段感じたり見たりしている「流転している宇宙」の法則の姿を表しているといっていいのかも知れません。それを本来見えない法則の姿として、大日如来を中心とした、胎蔵界曼荼羅として描き出していると考えられましょう。ただ、どちらの曼荼羅においても、原点は「大日如来」が中心に描かれております。 まずあたしたちのもっとも身近であろうという世界の胎蔵界の中身を俯瞰しましょう。中心にあるのは大日如来です。そして、そのまわりには八身の如来と菩薩が取り巻いて中心の「院」を形成しています。すなわちこれが「中台八葉院」と呼ばれ、宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音の各如来。そして 、弥勒、観自在、普賢、文殊の各菩薩が取り巻いて配置しています。 これは宇宙の真理の象徴である大日如来が法界定印のもとに、胎蔵曼荼羅の中心となる院で、大日如来と、人々の仏性を育む諸如来、それを支援する諸菩薩の功徳を示しているのでございます。すなわち、「さとり」の本質がこの「院」に込められているわけです。 「法身」の象徴である大日如来が、人間仏である「釈迦如来」の「さとり」のプロセスに擬し、「発心」→「修行」→「菩提」→「涅槃」の「四転」によって展開する。さらには「利他」を加えた「五転」の様をこの中心の「院」から展開しているわけでございます。 そしてその中央の「院」を、遍知院、金剛手院、持明院、蓮華部院が囲みます。これらはそれぞれ「さとり」を助ける様々な働きをします。すなわち会社の「各部」にあたるのかなというのも面白い見方でございます。(バチが当たるか(^▽^) ) 主な仕事と言えば、たとえば遍地院は広報および企画販促部、金剛手院は総務部、持明院は営業部、蓮華部院は各現業部と、かなり乱暴ですがそういう感じの働きをしております。もちろんそれらの取締役は「中台八葉院」のメンバーでございます。 如来は役員、菩薩は各部長とでもいう感じかな。というのはおこがましいですが、概念的にはそんな感じなんでございますよ。ただしここには上下関係というものはなく、またそれぞれの諸仏は大日如来そのものの姿であり、存在自体はまったく平等であると言うことでございます。 これは、過去から未来、現象と現象、彼の地とこの地とを結ぶ「縁」が、総括的な世界観の元に現在この時点にあるのだよ。というメッセージであろうということでございます。しかもこのまわりには、あらゆる場面に現れるであろう「眷属」ですらも、もれおちることなく描かれ、配置されています。 しかも完成されたひとつひとつの胎蔵界が、金剛界の一部なのだよという、とてつもない大きな「宇宙観」であろうということが、視覚的に感じられるわけでございます。つまり宇宙には無駄なものなど何もない。という事です。 しかも言うのであれば、このひとつひとつはそれぞれに「宇宙存在のための役割」があり、その観点では本来平等であるという事です。こういう点で考えれば各「院」とは「悟りのプロセスをその場面に応じて提供する」会社、なのかも知れませんね。すなわち、わが存在はたくさんの縁(カルマ)や法(ダルマ)によって成り立っているのだ。という事でございます。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2018-07-10 22:50
| 仏教
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