by hidemaro2005
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さて、前回はハロウィンの馬鹿騒ぎについて、様々うんちくを重ねて参ったわけでございますが、クリスマスとか節分しかり、なんだか商業ベースに乗って変質し、本来の意味を失っているような気もいたします。まぁ、ひとの営みって言うのは常に変化するのが道理でございますから、こういった年中行事も時代を追うにつれて変容するものではあるというものの、やはり、こういう年中行事本来の意義を頭のどこかに置いておかないと、ただ何も考えずに「流されて」いっちゃう風潮が怖いわけなんでございます。 日本の例で言えば、こういった年中行事というものは、そもそも「ハレとケ」の民俗文化の構造から来ていることが学説的に言われています。すなわち「ハレ」とは祭りとか盆、正月、節句などという晴れやかな生活で、それに対する「ケ」が日常の生活であったわけなんです。そもそも説で言うと、「ケ(日常)」のエネルギーが枯渇してきたとき「ケ=枯れ≒穢れ」と位置づけ、それを祓う儀式というものがすなわち「ハレ」の日であるというサイクルが見てとれるわけでございます。あたかも「スマホを充電するがごとく」と言うとなんとなく理解できると思います。 で、長らくこのことが「日常(ケ)」≠「非日常(ハレ)」という風に厳格に区別されておったわけです。ところが近代になって、資本主義が浸透してまいりますと、どうしても大量消費が社会の風潮になります。こういった需要を伸ばすには、ハレとケの交流が欠かせません。すなわち「年中なんかの祭り」であることが理想になるわけなんですな。 このことを民俗学の大家、柳田国男先生は「酒の飲み方」で説明されております。どういうことかというと、明治以前、酒は本来は「ハレの日に集団で飲むもの」として作られていたものなんでございます。すなわち神と人が、同じ瓶の酒でともに酔うものである事に意義がありこのことが「ケ枯れ」を払って新たな「ケ」を産む活力とした。というのが本来の酒の文化的な役割であったということでございます。 ところが明治以降は、酒屋で酒を売るようになり、独酌を愛する人が増えてきたということでございます。すなわち本来は「ハレ」の日で、しかも集団で飲む事とされていた酒の飲み方が大きく変わったと言うことです。すなわち、ハレとケの区別がつかなくなっているのが今のあたしたちの社会文化であると言えましょう。ですから、この酒のようにハレの儀式の厳粛な部分が、まるで当たり前のような感覚で捉えられるようになりそれこそ「年中お祭り騒ぎ」とでも言う状態で、知らずのうちに商業ベースにあっさり乗せられてるってのがあたしたちなんでしょう。 さて、それはさておいて、「年中行事」は「暦」のスケジュールが欠かせないわけでございまして、この「暦読み」の変遷においてもこういった年中行事は複雑に変遷をとげてきた経緯がございます。そこで本来の意義や形式から大きくかけ離れていったものの少なからず存在しております。そこで、そういったものを一つ一つひもといていこうってのがあたしの研究者としての意図なんでございます。 ざっと暦に関わることがらを上げていってみましょう。暦とは一年のサイクルを何らかのルールでセクション分けした単位でございます。現在世界的には、太陽の運行を基準とした「太陽暦」がデフォルトでございますが、例えば日めくりに書かれている内容をざっと挙げただけで、例えば明治以前に使っていた太陰暦の旧暦日。「ひのえうま」などの十干十二支、すなわち干支(えと)です。立春とか時候の挨拶にも使われる二十四節気。農事暦でもある七十二候。大安とか仏滅といった六曜星。節分や土用といった雑節などが記されております。 これらの暦読みにおいても、あたしたちの「行事」に深く関わっているものも数多くございます。むろん、商機においてもこれらは大きく関わるんですな。 さて、最初のお題は、画像に上げた石造物でございます。これは「庚申塚」とか「庚申塔」と呼ばれるものです。だいたい村はずれの道ばたに建っているものでございますが。 次回はこの「庚申塚」についてざっくりとひもといてまいることにいたします。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2018-11-26 23:31
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