by hidemaro2005
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クリスマス(英: Christmas)の言葉の意味は、「クリスト(Christ)マス(mass)で、「キリストのミサ」イエス・キリストの誕生(誕生)を祝う祭でございます。毎年12月25日に祝われるこの日、 実はキリストの生誕日はこの日であるという証拠はございません、それなのになぜこの日なのかというと、古代ローマの信仰で冬至の行事として12月25日が祭日となっていたのです。そして4世紀前半に、ローマ帝国がキリスト教を国教とした際、教会会議によってこの日をキリストの生誕日であると決定したことに始まります。そこから12月25日キリストの降誕日という位置づけが世界中に広がったのでございます。 ちなみに、キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられるというわけなんでございます。 新約聖書の文を借りると、 「イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。 —マタイによる福音書第2章第1・2節 これが12月25日の記述なんだということなんですな。 さて、日本におけるクリスマスは、1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において、カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが、最初であるとされています。 しかし、その後江戸幕府の禁教令によってキリスト教は禁止されたことで、明治の初めまでの200年以上の間、隠れキリシタン以外には、全く受け入れられることはなかったというのは、時代の当然というべきものでございましょう。 ただし例外として、長崎出島のオランダ商館に出入りするオランダ人たちは、キリスト教を禁止する江戸幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りという方便で「オランダ正月」を開催していた。これには幕府の役人や、通訳や蘭学者などオランダ人と付き合いのある日本人も招かれたようでございます。また、長崎に住むオランダ通の日本人たちの間でも、これを真似て祝うことがあったとの記録がございました。この状況は明治維新まで続いたというわけでございます。 その性格が大きく変化したのは、1904年(明治37年)、銀座「明治屋」が商業用として、日本初のクリスマスツリーを店頭に飾ったのが始まりでした。はてさて、これが評判になり、「クリスマス」という行事が広く民衆に知れ渡るきっかけとなったんでございます。 すなわち、「商業ベース」のクリスマスのパターンは、ここから始まったわけでございます。また1906年(明治39年)には、サンタクロースが登場してきます。クリスマスにプレゼントを贈るのが、この時期には早くも一般的になってきたようですな。 その後、1910年(明治43年)に不二家がクリスマスケーキを発売し、大正に入る頃には各地でクリスマスパーティが開かれるようになっていきました。このように、現在の日本のクリスマスのパターンは、宗教の理由では無く、むしろ商業イベントとして定着したんです。でございますから、その「商業化」が日本独特の「クリスマス文化」を生むわけなんでございます。1931年(昭和6年)のクリスマス記事は「クリスマスイブを踊り抜く」という見出しで、帝国ホテルで大勢の人たちが、三角帽子などをかぶり、ダンスをしている写真も載っています。 ところがこののち日本は不幸な世相へと入っていきます。1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発し、これによって社会の空気が変わりました。非常時となり、クリスマスに騒ぐことは禁じられます。毎年、派手なクリスマス宴会を催していた帝国ホテルも、それを永久に取りやめる、と宣言しました。この行事も「敵性的」であると非難の的になったのでございましょう。まぁ、総てを戦争に、でございますからこのような行事など、とんでもないというような世相であったのでございます。再び隆盛を得るのはたぶん戦後になりました。 戦終2年ほど経つと、賑やかなクリスマスが復活してきます。1948年(昭和23年)のクリスマス前にはすでに、朝日新聞のコラム天声人語には、クリスマスに浮かれ騒ぐ姿を批判した文章が載っています。すなわち今頃にクリスマスは行われ始めていたということなんです。敗戦後のクリスマスは、それまでにない異様な大騒ぎとなります。風俗店やダンスホールで大人たちが騒ぐクリスマスですが、酔っ払った集団が歓楽街で大騒ぎをして、一種の無法地帯が生まれていました。それがだいたいだいたい1957年(昭和32年)くらいまで、続きました。まぁ、忘年会とごっちゃになったわけでしょうな。 さて高度成長期に入る1960年代には、ケーキとプレゼントを買って、郊外のマイホームへと向かうサラリーマンのパパが多くなりました。子供のためのお楽しみの日というクリスマスになりました。すなわち、よい子にはプレゼントがもらえるという本来のクリスマスの姿になったわけでございます。 それが1980年代に入り、再び大人のクリスマスが出現しました。すなわち「男と女が一緒に過ごす日」となったわけなんですな。バブル景気に突入する時代で、その風潮とあいまって、若者カップルが、分不相応な店で高額な支払いをする、という風景が出現しました。クリスマスイブはカップルのものだという認識はこの頃が始まりと言えましょう。 山下達郎の「クリスマス・イブ」がヒットしたのもこの頃ですが、この歌詞にあるように基本は「カップル志向」なんでございます。 バブル景気が終わってからは、高額な散財はなくなりましたが、クリスマスはカップルで過ごすという習慣は定着したままですな。 クリスマスは、それぞれの時代の気分を反映している感じがいたします。もともと西洋のお祭りであり、何だか楽しそうなお祭りだ、と日本人は思っていました。その具現が「日本型のクリスマス」なのであると言えましょう。そこには「宗教的要素」は皆無であると言えます。 過去から西洋の文化を取り入れなければ世界から遅れてしまう、という風潮があり、それに庶民レベルで反応したのが日本型クリスマスだといえるでしょう。その別の形が昨今の「ハロウィンの馬鹿騒ぎ」につながるのかもしれません。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人)
by hidemaro2005
| 2018-12-20 22:40
| 世相
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