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暑い日々が続いております。しかし、今年のはじまりの頃にこのような「猛暑」を誰が想像していたでしょう。そうなんです、今年初めの冬は、厳寒に豪雪というオプションが付いた「スペシャル冬」だったわけですなぁ( ̄ω ̄ )y~
で、雪のために倒壊家屋が相次ぎましてな、我が家の物置も見事に「潰壊」いたしまして、先日ようやく処分できた次第でございます。しかし、この事はあちこちに点在する「廃墟」を直撃したのは確かです。 ![]() あたしが仕事柄よく通ります集落がございます。国道沿いなのですが、ほとんど限界集落。以前は国鉄も通っておりまして、結構賑わった集落でもありましたが、今は見る影もありません。集落の中心地は駅でありそこの横に学校がございました。小中併置のこぢんまりとした学校でしたが、木造の瀟洒な造りで、なかなか存在感のある校舎でしたね。 ![]() 児童生徒減で廃校となってから四半世紀経ちますかね。木造校舎の建築が残ってるのは、貴重だと結構話題になりましたが、今年の冬の豪雪で、正面玄関横、旧職員室でしょうかね、屋根が見事に陥没してしまいました。このほかにもここの集落は、あちこち潰壊した空き家が放置され、この夏草の中にそれこそ「朽ちるがまま」になっています。( ̄-  ̄ ) これをケシカランq(`Д´●) ととるのは自由ですが、処分するのもお金もかかるし、第一「思い」というものもございましょう。数々事情がありますから、無責任な評論家立場から「べき論」など語るのはヤボというモノです。 砂澤ビッキさんという、北海道を代表する彫刻家がおりますが、この人の作品は「木」をメインとしておりまして、特に野外の作品なんかには、「朽ち果てる」と言う要素も考えにあったようなのです。たとえば、札幌芸術の森に、ビッキさんの作品である「四つの風」 と言う作品がございますが、今はこの原形は残しておりません。なんと倒壊してるんです。( ̄O ̄;)ノノ しかし、作者の遺言は「朽ちるままに」なのですな。この作品に対し、作者のビッキさんは、このようにコメントしておるわけです。 私はよく自然の中を彷徨(ほうこう)するけれども、自然を探求したり理解しようとはあまりしてない。 自然と交感し、思索する。そこに、あからさまな自己が見えてくる。人が手を加えない状態、つまり、自然のままの樹木を素材とする。したがってそれは生きものである。生きているものが衰退し、崩壊してゆくのは至極当然である。それをさらに再構成してゆく。 自然は、ここに立った作品に、風雪という名の鑿(のみ)を加えてゆくはずである。 あえてコメントしませんが、あたしとしては、「諸行無常」という言葉だけ添えておきましょう。 ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-26 22:25
| 哲学
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Comments(2)
過去にカミさんを激怒させた施設がございます。第178話、新春「どうなん食べある記」 その3
今回は、そのリベンジも兼ねて八雲町に走ったわけです。あたしが鶏肉ダメなモノですから、カーネルおじさんの鶏唐揚げは、カミさんは然るべき所で食べたいと言うのが本当のようですな。( ̄  ̄ )y~ だったら、その辺にある、オジサンが出迎えてるショップにいきゃいいものだと思うのですが、どうも、この時の「バイキング」がルサンチマンにあるらしく、どうしてもここじゃないとダメ!(`皿´〃)ノ だと言い放ちますモノですから、はるばる車を走らせたわけです。 ![]() さすが夏休みの休日です。ハーベスタはメチャ混みでした。まぁ、直営ではないにせよ、カーネルおじさん仕込みの唐揚げは満喫できるわけで、カミさんはとりあえず約8ヶ月ぶりにリベンジを果たしたというわけですな。まぁ、あたしとしても、オリジナルなショップでは味わえないビザなんかを頼んだり、オールフリーの偽物ビールなんかを頼めたりできるわけですから、これはこれで良いのです┐(  ̄▽ ̄)┌ さて、満足したところで、あたし自身風の噂で、八雲に渋い日本庭園があると聞いていましたので、今回、まったくどこだかわからないまま、探してみることにしたわけですな。まぁ、狭い町でもありますから、テケト~に走れば見つかるんでないかな( ̄∀ ̄ )と言う軽いノリでした。しかしながら、八雲というマチは結構奥深くて、なかなか見つかりません。おそらく規模もそんなに大きくはないのでしょうな。マップもナビも何もなして動き回るのはやはり無謀というモノでしょう、完璧に八雲町をナメておりました。・・・・陳謝イタシマスm(__;)m ![]() 仕方がないので、駅前に車を走らせ、「観光案内図」の看板を確認しますと、「梅村庭園」の文字がございます。あたしゃ、八雲に「梅園」があると記憶していたので、もしかしたらこれかな?とぴんと来たわけ、まぁ、野性のカンですな。なんのことはないです、八雲の駅からなまら近い所にあるではないですか。しかも公民館に隣接してますな。まぁ、当然なことですがマチの中にあったというわけです。函館の香雪園をイメージしてましたが、意外でございました。 ![]() この庭園ですが、愛知県から移住してきた梅村多十郎という方の屋敷の跡だそうですな。この人は農業をはじめとして澱粉工場や菓子製造なんかを手がけた土地の名士であったそうです。まぁ、八雲自体が尾張徳川家の旧藩士たちが入植した場所ですから、尾張出身者は名士の名士たる所以であったのかも知れません。まぁ、とにもかくにも見事な庭園でございます。カミさんなどは「ここが八雲とは思えない」などと、なまら失敬なことをつぶやいております。twitterなんかでつぶやいていなければよいのですが、ちょっと心配です( ̄ェ ̄;) ![]() 池には沢山の鯉も泳ぎ、睡蓮が美しゅうございました。さぞかし秋は紅葉が美しいと思われます。したがって、また秋にでも訪れることといたしましょう。やはり、日本庭園には秋の紅葉がもっともふさわしゅうございます。 ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-24 22:16
| 函館・道南
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世の中に、「モデル」という生業をなさっている方はあまたおりますし、また、なりたいと考えている方もおります。キレイな方はそれこそ絵になりますし、生業のモデルの方は、ちゃんと「綺麗に写るすべ」を心得ております。
モデルさん、特に「対価」が介在する被写体は、それなりの「絵」は作れますし、素材が良いと、それなりの「ポートレート」にはなり得るわけです。 ギャラが介在しない、本当の「一般人」を、モデル並みに撮るのは至難の業です。したがって、そういう対象を被写体にするのであれば、基本は「スナップ」でいいのだと思いますなぁ・・しかしながら、時としてその方が自然に美しすぎる場合が結構多いわけです。( ̄-  ̄ )y~ ![]() 撮されることにある程度慣れた「フツ~の人」は、不思議と数十分後には、スナップを通り越した「表現者」になっています。慣れてない人も、最終的には、「表現」するようになります。すると、「天然モデル」になってくるわけです。でも、それでもあえて「スナップ」で撮るわけです。 そもそも、「フツ~の人」をモデル並みに撮る事なんて、本来は無理なことなんだと、謙虚に「写真家」は思い、甘えることなく、「被写体あるがまま」に撮っていく事が、実は大事なのではないかと思うのですな。 注文を付けたいときにあえて付けない・・・。実は、その心のせめぎ合いが、時として「いい絵」を醸し出す場合があります。そして、この境目を知るが故に実に美しく、なおかつ、「ポートレート」が「肖像寫眞」になりうる真髄ではないのかと改めて思うわけです。 ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-24 02:42
| 写真
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Comments(2)
いやはや、人の世って言うのは、「もめる」ことが実に多いですなぁ・・・。
身近なところ、はたまた国際社会、もめにもめてます。(ㆀ˘・з・˘)b でも、この、「もめる」って、一体どうして起こるんでしょう。 つまらんことなのでしょうが、やっぱり考えてみる価値はあると思うんですな。だけれど、もめ事がこれでなくなるなんて、甘いことは考えてはいないですが、あたかも釈尊が「転法輪の躊躇」と言って、自分が悟った真理は人々には理解されないだろう。と思った事とけっこうリンクしてます。 ![]() 【結論】・・・もめ事は、自我がある限り、絶対無くなりません。( ̄-  ̄ )y~ だから、あたしはこの事を前において、モノを言ってみることにします。まぁ、庶民的に言えば「わかっちゃいるけどやめられねぇ」みたいなノリだと考えてもらって結構です。なんせ、最近の若い衆なんか、「ジジイ、また説教かよ」なんて言い出すもんでね、あたしとしても「わかんなきゃわからんでも良いさ。」というスタンスは、きわめて仏教的にとらさせていただいてるワケですな。<( ̄∀ ̄)> あ、そうそう、「もめ事が無くならない」理由の解析でしたね。 それは、みんな「自分がいい人」ばかりだからなんですな。だからもめるんです。 みんな「自分が正しい」と言って譲らない。 よく考えてみたら、みんな正しいなんてあり得ないことなんです。そもそも人のつまらないノーミソが作りだした「正しい」なんて、所詮「自分がなになに」の域を脱してないんです。だから、自分が正しいためには、誰かが悪くなくちゃならないんです。 ただ、それだけ・・・・。( ̄-  ̄ ) で、そのあとどうなの?・・・って言えば、ただ空虚なだけだから、最悪な話、新たな『エネミー(敵)』を探し出すしかない・・・。この状況を「修羅」とも言いますな。どちらにしろ自分を苦しめる何ものでもありません。 だけどこの中にいる人というのは、決して耳を貸しませんから、釈尊が「転法輪の躊躇」をした理由も、わからないわけでもありませんな。 ↓お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-22 22:30
| 仏教
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なんて言うんでしょう、某国の大統領閣下が、他国の国家元首に「謝罪に来なさい」という旨の発言をしたというではありませんか(・0・;)ノノ
例年、8月になると「過去の謝罪」という言葉がやたらと出てくるように感じるのは、あたしだけなのか、あるいは「謝ることが美徳」と感じている人が多いのか。はたまた、「謝罪しろ!」わめく声が多くなるのですが、あたしゃ、どうもこの「謝らせる」という行為。あんまり好きじゃあないんですな。 あ、かといって、「謝る」のがイヤだ。というわけではないんですよ。ヾノ・△・) そうですなぁ・・、しいて言えば「誤る」のがなんかイヤなんですよ。 ![]() ヘタクソな学級担任あたりが、たとえばケンカした子どもを向き合わせて、機械的に「お互いに謝りなさい」と強要し、シャンシャンで終わらせたと思ったら、「ボクは悪くないのに・・・」と互いに思い、事態がさらに深刻になるケースがありますな。さらに、調子こいて「土下座しろ」という人もいますが、オマエは殿様か?、とツッコミたくなりますなぁ。(ㆀ˘・з・˘)b 何かあるとすぐ「謝罪」だ、「補償」だのを求める人もいます。事なかれな人は、「とりあえず頭下げとけ。」とまとめたがる人もいるのですけれどね、いわれなく「とりあえず」謝罪させられる人は、その時点でその相手に対し「不満や敵意」を湧かせるのは至極あたりまえのことですよ。 したがって、謝罪は他人に求めるものではなく、実は自身の心から自然に湧くものなんであることがわかると思います。そんなもの人に強要できるわけもなく、それを公然という人の「識見」を疑ってしまうというものです ( ̄⊿ ̄ )b このように「誤っている」人が、実に多いのには、困ったものだというしかありませんな。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-19 19:31
| 日常
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うわ~、ゴメンナサイ、すっかり更新をサボってしまいました~m(._.)m ・・・・と、常套句で、あたしも含めて久しぶりにブログを書く時なんかこういう前振りをする場合は多いですよね。たぶん・・。
あたしがよく訪れますブロガーの方も、ブランクのあとにこういう書き出しで再開されたりしていますなぁ。でも、思うことは、 別に謝らなくてもようござんすよ・・・ ゞ( - -) サボっていたというのは、何に対してサボっていたというのでしょうか。それは、自分が「やらなければいけないこと」に対してのサボりであり、その罪悪感の矛先は、ほかならないご自分にあるからなんですな。 「読者の方にご無沙汰して申し訳ございませんでした。」 と言うフレーズは、実はきわめてゴーマンなのではないのか?とも考えるわけです。この裏には、「あたしのブログを待っているんでしょ?」という上から目線が感じられるからなんですな。普通にサーフィンでお読みいただいている方々に対する言葉としては、極めて不適切でございましょう。 だから、あたしゃ絶対にこんなこたぁ言いませんよ・・( ̄-  ̄ )y~ ![]() なまじっか「ランキング」なんてモノにこだわるからなんでしょうか、勘違いするワケなんですな。もともとブログなんてモノは「Web=log(Webでの記録)」であり、これが滞った事に対する罪悪感なんぞ、他に求めるモノではないワケなんです。 自由に「高品質」な情報を発信する。粗製濫造なウケ狙いとか、しょ~もない一般人の日常なぞ、発信が滞ったって別に謝る必要なんか無いんですな。ただこだわらなければ、「まぁ、そうかぁ」で済むのかも知れません。でも、人間には承認欲求があるから、それはそれで嬉しいモノですけどね。でも、囚われても、退けても結局同じ事なんですよ。 という感じで、久しぶりにテケト~な文と、お写真をばお目汚し致しました・・・。 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() ▲
by hidemaro2005
| 2012-08-14 22:28
| 日常
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