![]() by hidemaro2005
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2019年 02月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 06月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 03月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 最新のトラックバック
検索
タグ
フォロー中のブログ
外部リンク
ブログパーツ
最新のコメント
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
|
1
あたしゃたまたまですが、せっかく大沼で暮らしてますから、ご当地らしい話題を一つお話ししましょうかね。(  ̄∀ ̄)b
全国区でのご当地の話と言えば、多彩なアーチストでもある新井満さんが、この大沼に滞在した折にあの名曲「千の風になって」を訳詞し、作曲したということでございましょう。まぁ、大沼公園にはその記念碑もあり、入り口には『「千の風になって」誕生の地大沼公園』なんて書かれた看板が立っております。また、当の新井満さんもこの大沼湖畔に本格的に居を構えておるわけです。 (`▽´*)b ![]() こないだたまたま某ローカル新聞を見ておりましたら、新井満さんのインタビューが載っておりました。いいお話なので、あたしもお説教のネタにでもできるかなと思い、スクラップさせていただいたわけです。φ(・エ・* ) まぁ、それによりますと、言ってみれば大いなる自然天然、仏教では「尽十方界真実」とも言いますが、その前にはすべてのものは、常に定まることなく変化するものだ。というようなものに似たことを申しておりました。 まぁ、今まであたりまえのようにあった家族とか家とかふるさとが、一瞬で失われてしまうという現実を、東日本大震災によって日本人は目の当たりにしたわけです。 したがって、欲望によって動かされていた生き方から、ささやかなものや、さりげない身近な出来事を大事にしようという価値観に、日本人が目覚めてきたんじゃないのか?というようなことをおっしゃってましたね・・(*'∀'人) ![]() ![]() 大沼って所は確かに、季節がはっきり移ろうのがわかるところですなぁ。そればかりか一日に何度も天気や風向きも変わりますね。高原だからでしょうね、雲とか霧とかもめまぐるしゅうございます。やってくる野鳥も日替わりでいろんな種類のがやってきます。こういう所だから「千の風」というコピーが浮かんだのでございましょう。これを見てると自然に生かされているということが、言葉でなく「感覚」でわかるような気がいたします。まぁ、これが大沼の大沼たる所以であり、過ごしてみなくちゃわからないという、「滞在する醍醐味」なのございましょうなぁ。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-29 21:57
| 函館・道南
|
Comments(0)
はてさて、昨今の世の情勢を見ますと、我が国の状況も、世界全体の状況においても、何でしょう、一言で言えば、ヤリキレナイ状況ですなぁ(ㆀ˘・з・˘)b
まぁ、こんな時ですから、久しぶりに「仏教ネタ」でまいりましょうか、というか、そう考えなくてはやってられない状況が、世の中ホントに続いてますよ(*`・ω・´)ノ さて、したがって今回の仏教ネタのお題は「忿怒(ふんぬ)」でございます。忿怒相とは、文字通り怒りまくっていることでございますが、「忿怒」というのは、文字が示す通り、ただ怒ってるわけではございませんのですな。「忿」の文字は「分の心」とあります。つまり、怒り狂ってるのではなく、「分を弁えた怒り」とでも言うのでしょうな。そんな意味あいでございましょう。つまりコントロールされた怒りというものでございます(`∀´〃) ![]() かの空海が、最澄にその貸し出しをためらったとされる「般若理趣経」の第三段には 「降伏の法門~降三世明王の巻」というものがございます。 これは、どういう内容なのかといいますと、まず、第一段、第二段において、ものごとのすべてのものは、この世界の絶対のの中で存在してるのだから、この世に起こる現象や、すべての営みというものの元は、そもそも善も悪といった分別もなく、もともとのものは「清浄なもの」であるという観点から考えるわけですな。( ̄- ̄ ) ですから、そもそも苦の根源とされている「三悪」すらも、あっちゃダメなんじゃなく、むしろある事に意義があるんだと、この経では言ってるわけなんでございます。あるからこそ、それをうまくコントロールしていけという事なんでございますよ。つまり、怒りのベクトルの問題だという事が、この「忿」という言葉に込められている意味なんでございますな(* ̄▽ ̄)b ![]() そもそも「三毒」と呼ばれる、人の「怒り」とは、「貪・顚・痴」であると言います。つまり、 貪り(むさぼり=貪欲:自己の欲するものに執着して飽くことを知らない事)) 顚り(いかり=顚恚:自分の心に逆らうものを怒り恨むこと) 痴しさ(おろかしさ=痴愚:根本の真理を知らないこと という、人の心がどうしても持ってしまう、三つの心の「闇」でございましょう。まともに見たら、こら、あ~た、どうしようもないアホの境地であるわけですな。だから、こいつをなくせばいいじゃないか、幸せになれるじゃないか。と思うわけですが、さて、どうでしょうな、ホントに無くすことはできるでしょうか?というより、無くしたら、そこで人は人でなくなっちゃいます。(ㆀ˘・з・˘)b こんなのは現実的じゃないし、基本的に「仏教的」ではないんですな。 理趣経で言ってるのは、これらを「無くしちゃう」んじゃ人が生きる意味がないジャン?だからこそあっていいんだよ。と言っているんです。そうなれば、なんだ、テケト~に生きたり悪い事やったっていいんじゃないか、人間だもの。って論法になるんですが、そら~違うんですよ( ̄へ ̄ ) ![]() そもそも、この三つは人が生きている限りどうしても湧いてくるものなのだから、逆にこのエネルギーのベクトルを違うものに向けたらいいんでないか?という事を言っているわけですな。執着は「企画」の源、「顚り」は開発するエネルギー、「痴」はなりふりかまわぬ情熱と置き換えることができましょう。そもそもの制御がきいているのなら、この「三毒」とは実はエネルギーであるわけですな。そういう原理をここで述べておるわけです( ̄0 ̄)。 この仏像の忿怒の相とは、衆生の心をただす怒りという見方もございますけれど、あたしとしては、ゴールを決めた「をっしゃー」とか、三振とったダルやマー君の雄叫び、仕事で、大取引決めた営業マン、悩んだ末プログラムがうまく動いた時のプログラマー、諸々の「仕事やった!」って顔に見えちゃうし、そもそもその表情なのだと思いますな。この瞬間が実は「調伏」という現象なのだと言う事でございます。 ( ´ ▽ ` ) ![]() ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-29 00:49
| 仏教
|
Comments(0)
その中で浮上したのは、函館本線の函館~長万部間を複線化して、輸送力を高めるという計画でございました。ところがそこでネックになったのが、軍川(現大沼)駅~森駅の線区が急勾配だったため、複線にしても長大列車の運用が難しいという問題だったわけですな。そこで考えられたのが、駒ヶ岳の東側に開業していた渡島海岸鉄道(森~砂原)を買収して、軍川~砂原間に新線を建設して、これでもって函館本線の複線化を図ろうという計画だったわけでございます。まぁ、現在の函館本線砂原まわりの建設と言う事でございます。(`・ε・´)
![]() 軍主導の工事は早うございまして、早速昭和19年には買収が完了、軍川~砂原の新線が着工されます。そうなりますと、大沼電鉄の線区とまったく平行して鉄道が敷かれていくわけですよ。当然ながら影響がないとは言えませんが、このあたりのいきさつの資料はほとんど残ってはおらんのですが、昭和20年、軍川~森の砂原線の開通と共に、渡島海岸鉄道、そして大沼電鉄が6月に競合路線としてなのか、「廃止」となるわけですな。(´・ω・`) ![]() 砂原線開通の2ヶ月後の8月15日、日本は敗戦を迎えたわけですが、この時に早速道庁は開拓鉄道の申請を盛んに行ったわけです。いずれの機会で取り上げとうございますけれど、この中には鹿部から臼尻、椴法華を抜け戸井から湯ノ川にいたる渡島半島東海岸をめぐる路線の計画もあったといいますなぁ・・。戦後はとにかく食料の確保が急務でありまして、農漁村の振興に鉄道建設が必要だと考えられておったのでしょう。実現してたらどうでしたでしょうね、「急行マコンブ号」なんかが走ってたかも知れませんなぁ(^∀^* ) 昭和21年になりますと、「大沼電鉄」の早急な復活を求める声が、地元から挙がってくるようになりました。というのは、戦時中に函館本線の複線新線として建設された砂原線に設けられた「鹿部駅」が鹿部の市街地から7キロも離れており、冬の間にはこの区間は運休するというので、不便に感じたわけでしょうな。確かに現在の砂原回りの各駅は、鹿部駅に限らずホントに山の中にございますものね(ㆀ˘・з・˘)b 何でこうなったかというのは、この路線が軍川~森の間の勾配緩和のためのバイパスとして作られたため、沿線住民の利便など全く考えに入れないで、突貫工事したからなのでございます。したがって、地元にしてみれば不便を強いられたわけですから、こらあ~た無理もございませんなぁ。(  ̄∀ ̄)b ![]() 早速大沼電鉄復活に向けて資金が集められ、昭和22年に着工、翌23年1月から銚子口~鹿部間で営業が再開されたわけです。銚子口までは、かつての大沼電鉄の路線とほぼ同じでありましたから、国鉄との連絡は銚子口でということにしたんでしょうな。貨物列車などはそのまま乗り入れしていたようでございますよ。乗客数・貨物数ともに順調で、1日7往復はしていたようです。( ̄∀ ̄)ゞ ところが物事はなかなか思うように行かんものでしてな、好調な業績を伸ばしていた大沼電鉄も経営が悪化してくるんでございますよ。昭和25年、湯ノ川から噴火湾沿いに抜ける川汲山道が完成したわけです。しかも、函館バスがその区間で営業を始め、トラックも山道経由をし始めるようになったわけですな、それで南茅部方面の物流や人の流れががらっと変わり、電鉄の旅客数や貨物ががた減りしたわけです。(ㆀ˘・△・˘)b そこで、この状況を何とかしようと新規事業に取り組むわけですな。大沼が観光地として地位を上げたのを見て、観光事業と遊覧船営業を始めるわけでございます。そのため、従業員の給与を40%もベースアップしたため、赤字はどんどん膨らんでいったわけでございますよ。これじゃイカンってんで、鉄道省が未成のままで終わらせた戸井線の払い下げを受けて事業拡大しようとしたんですが、資金繰りの面で無理があり、却下されておりますな(*`ε´*)ノ ![]() とうとう会社は、再建案として電鉄の軌道事業を廃止し、観光事業とバス・トラック運輸に切り替えることを打ち出したわけです。これには鹿部の住民から猛反対がありましたものの、昭和27年に、再開からわずか4年で大沼電鉄は鉄道事業を廃止、国鉄線との間に代替バスを走らせることになりました。しかし、先発の函館バスと路線が競合するなど不利な経営が続き、とうとう経営破綻。鹿部と大沼の間のバスは函館バスが代替運転することになり、昭和28年、大沼電鉄株式会社は解散することになったわけでございます。(´・ω・`) ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-27 20:35
|
Comments(0)
以前「テツ」の分類のお話をいたしましたが、どうもあたしは歴史好きなものでして、鉄道に関する古写真とか、過去の鉄道地図なんかが好きなんですなぁ。(  ̄3 ̄)b
まぁ、こういうのを「廃線テツ」とでも言うのでしょうが、さにあらずなのです。廃線だろうが未成線だろうが、はてさて現役だろうが「その昔」に興味がございますのです。言わば「歴テツ」とでも言いましょうかね・・(・ω・`) まぁ、前振りはさておきまして、今回は「大沼電鉄」について蘊蓄をたれることにいたします・・ (´・∀・`)b 大沼電鉄というのは、現在の大沼公園駅から鹿部町の市街地までを結んでいた鉄道でございまして、電鉄と言うくらいですから当然電車が走っておりました。 尾崎渉さんという方の「大沼電鉄の足跡(市立函館博物館研究紀要9-10号)」という論文によりますと、大正11年に認可申請、昭和3年着工、昭和4年1月末に全線開通営業開始したとあります。 営業キロは約11マイル(約18キロ)で、始発駅の大沼公園(現在と同じ場所)から沼沿いに大八湾、鬼柳、銚子口、留ノ澤、小川、奔別、そして終点鹿部の8駅ございました。大沼から鹿部までの運賃は65銭で、所要時間51分で二両編成1日3往復。国鉄の列車と上り1本以外は、すべて接続するダイヤであったといいますから、結構便利だったんですな(  ̄∀ ̄)b ![]() 開業した月には5400人もの乗客を運んだそうでございます。今まで函館方面に来るのに船を使っていた南茅部の人たちが、電鉄の開通によって利用するようになり、思った以上に順調に利用されていたようでございますなぁ。また、大沼はこの頃には観光地として大発展しまして、国立公園の設置候補にもなるくらいでございました。(=´∇`=) ![]() ところがこの年(昭和4年)の6月17日のこと、突如として駒ヶ岳が大噴火するんでございます ( ̄Д ̄;)ノノ 午前10時に大爆発して約9時間後にほぼ収まるまで、鹿部を中心に死者2名負傷者4名、被害家屋1920戸に及ぶ大惨事になったわけです。大沼電鉄の軌道は留ノ澤~奔別の間が軽石に埋まり不通となったわけですが、驚くことにこの大噴火の日であっても省線列車(国鉄)はフツ~に列車を走らせ、また、大沼電鉄も大沼~銚子口で区間運転して被災者を運んでいたというのですな (;゜゜)サスガショウワ! しかしながら、発電所がその後の火災でダウン、全線不通になりますが、電力が復旧するまで、馬車鉄道やガソリン機関車でもってしのぎ、8月には函館水電の協力を得て2ヶ月で復旧したと当時の新聞は伝えております。今から考えても、驚くべき速さで復旧したわけですな。 ![]() 幸いにも、この大噴火の被害は鹿部方面が中心で、大沼公園自体に大きな被害はなかったわけでございました。復旧が一段落すると、そら~皆さん、噴火したあとの駒ヶ岳の見物に、大沼に殺到するわけでございますよ。こればっかりはいつの時代も変わりませんなぁ (^∀^; 大沼駅(現大沼公園駅)の改築も行われて、現在の駅舎が昭和4年の11月にはもう建てられています。この建物が現在の「JR大沼公園駅」なのでございます。(  ̄3 ̄)b ![]() 一方、鹿部村の復興も道庁の援助を受け、どんどん進みまして、翌昭和5年には鹿部駅も立派に建て替えられ、駅前の開発がさらに進んだわけです。大沼電鉄の利用客や貨物輸送は右肩上がりで発展していくわけですな。また、この頃発達してきた「自動車部門(バス)」にも事業として進出するなど、電鉄の会社自体の利益拡大を図っていくわけです。( ゚∀゚)b ![]() ところが、世の中はまた変化するわけでございます。昭和12年、盧溝橋事件がおこり、日中戦争が始まりますと、軍部による鉄道輸送への介入が強まってきたわけです。いわゆる、「戦時体制」というやつですな(ㆀ˘・△・˘)b そこから、大沼電鉄だけでなく、森~砂原間で開業していた渡島海岸鉄道にも数奇な運命を背負わせることになるのですが、それは次回で・・・(`∀´)Ψ *古写真・地図は函館中央博物館デジタルアーカイブから引用しました ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-23 00:21
| 函館・道南
|
Comments(0)
あたしの仕事柄、いろんな方々のお名前に触れる機会がございます。で、最近困っておりますのは、「名前が読めない」お方が増えておるわけです。
そう、最近の親御さんの傾向なのでしょうが、お子様につける名前が、ものすごく難しすぎるのでございますなぁ(ㆀ˘・з・˘)b いくつか事例を挙げてみますので、クイズでも解くようにおつきあいくださいな。 (*’▽’)b まずは、「絆星」くん。です・・・・・読めますか(  ̄∀ ̄)ノ これは「きら」くん と読むのだそうですな・・。 その他、いくつか挙げてみます。 「火星」「月」「七音」「姫星」 全くわかりません・・むろん、「かせい」「つき」「ななね」「ひめほし」なんてのは不正解でございますよ・・(´・ω・`) 正解は、「まあず」「あかり」「どれみ」「きてぃ」と読むのだそうです。 何でこうなるのが許されるかというと、子どもの名前を届け出るとき、法律上は当用漢字や人名漢字を使うことが義務づけられているのですが 、定められた漢字さえ使っていれば、読み方は規制がないのだそうです。だから、「平安京」と書いて「みやこ」と読ませることもOKなわけですよ(  ̄3 ̄)b ![]() しかし、いくらそうだって、これはやり過ぎで、子どもがかわいそうになってきますがどうでしょうね?ってのがこれです。 「泡姫」 「美俺」 ( ̄Д ̄;)ノ・・・ちょっといいんですか?と思えば、これは 「ありえる」 「びおれ」 だそうですよ(^◇^ ;) でも、さすがにこいつはね~。 スゴイのになると・・・ 「愛保」=らぶほ 「亜成」=あなる ってのはどうかと思いますよ~。(ノ°ο°)ノ でも、ネタじゃなくて、ホントにいるそうですから、その子の将来がなまら気になります。 ![]() ちなみに、「名字」に関しては、漢字・読みともに規制はございません。ですから、過去の歴史上で生じた、様々な俗字や読み方がそのまま認められておるわけです。 あまりにも有名ですが、次に挙げる名字を読んでみてくださいな。 1,「ー」さん 2,「四月一日」さん 3,「月見里」さん 4,「八月一日」さん 5,「小鳥遊」さん 答えは下に・・・。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください 正解はこちら ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-20 18:48
| 世相
|
Comments(0)
さて、世の中はすっかり「アベノミクス」一色でございます。どちらさんもこちらさんも皆さん「アベ」だらけですな。特に安倍総理は円安とかTPPにもご執心でありますなぁ(ㆀ˘・з・˘)b まぁ、そんな中でもあたしゃ給料がさっぱり上がりませんから、もっぱら「イエ呑ミクス」でございますな(-△-*)
その中で、特に「憲法第96条」を改正したがっておりますが、ところでこの憲法第96条ってなんだや?(・_・?)って感じる方も多いのじゃございませんでしょうか。まぁ、ググればわかることですが、日本国憲法の改正に関わる手続きのルールを定めたものなんでございますよ(  ̄3 ̄)b 第96条 [改正の手続、その公布] ① この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 ② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。 と、まぁ、この条文を「改正しようじゃあ~りませんか 」というわけですけれど、じゃ、どこを変えるのけ?(・ε・?)という事になります。 思惑としては、各議員の3分の2というのをいじり、「過半数」で発議できるようにして、まぁ、「改正しやすく」したいというのが思惑なんじゃないのかとも思うわけですな┐(  ̄∀ ̄)b ![]() 実は、あたしも3分の2の発議ってのは、過半数にしてもいいのかなと考えてるんでございますよ。と言うと、ある筋の方々には怒られそうなんですがね・・・(╬゚◥益◤゚)9 オマエハウヨクカ! あたしとしては、個人的には「憲法」なんてものは、無暗にころころと変えるモンじゃないと思っておるのですが、現実を見ながら常に見直す作業は必要だと思っております。ですから、いつでも話題になる状況は作ってもいいと感じております。しかし、あっさりと変えられたんでは、腐っても「憲法」なのですから、あ~た、お手軽に多数決なんかじゃやっちゃ、さすがにダメだと思いますよ。(・∀・*) 悪魔的なあたしの改正案としては、発議は各議員の過半数でもよいと思いますよ。衆議院、参議院の過半数で「発議」して、国民に承認してもらうわけですけれど、この国民投票を「有権者の3分の2の賛成」とする改正案でございます。(*`▽´)b それがダメなら「全国民の過半数の賛成」とするわけでございます。この際「棄権」は賛成とは見なさない事も明言しておくのも良いでしょうな。 国民がほんと~に真剣に、憲法というものを考える事ができる、とてもヨイ改正案だと思いますがね~ Ψ( `∀´)イヒヒヒ ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-13 20:04
| 世相
|
Comments(0)
北海道新幹線の開業を待つことなく、いわゆる「平行在来線」でもないのに、さっさと来年のGW明けに廃止が決まったJRの線区がございます。「JR江差線」のうちの木古内~江差間の42,1㎞区間でございます。まぁ、稼げるだけ稼ぎましょうってな感じのJRさんの思惑も、何となく見え隠れしてますけど、そこは黙っておきましょう(・∀・*)
で、そもそも江差線というのは、五稜郭~江差の間を結ぶ線区でございまして、木古内から先は、桜と最北の城下町の松前にむかう「松前線」と枝分かれして運行されていた、のどかなローカル線であったのです。あたしらは小さいときは「江差・松前線」なんて言われておりましたな。(´Д`) ![]() ここが大きく様変わりしたのは、「青函トンネル」の開通でしょうな。のどかだったローカル線のうち木古内~函館間は、本州と北海道を結ぶ動脈になり、電化区間になるわ、特急や寝台車、長大な貨物列車がばんばん走る「幹線」に格上げされたわけです。この区間も含めて「津軽海峡線」なんて言われてたんですが、問題は木古内~江差の区間と、木古内~松前の区間の問題だったわけです。(ㆀ˘・з・˘)b この二つの「盲腸」は、言ってみればはなから廃止の対象だったわけですな。本来なら枕を並べて「全線廃止」だったはずが、青函トンネルの取り付け線になったおかげで生き延びたわけです。ですが当時の国鉄合理化を進めたお役人さんは、「数字」のマジックで妙な決断をしたわけです。実はこの「江差・松前線」の営業成績の大半は、函館~木古内間、特に函館近郊の上磯までで大半であったのですが、木古内から先は松前方面に向かう乗客率がほとんどで、木古内~江差間は一番営業係数が低かったわけなんです。 ところが、木古内~松前の区間が、ここよりお客や沿線人口が少ない木古内~江差に先がけて廃止されちゃったわけです。実に昭和63年、ホントに昭和の終わりとともの廃止ですな(TωT) 理由は、「江差線」じゃないからという机上の理由です。 木古内~江差間は、実は稼ぎ頭の「函館~木古内」の線区を含め、「江差線」という括りになっているんですが、木古内~松前は、「松前線」という独立した線区になっていたというわけです。つまり逆転現象ですな。都会のお役人なんか、当時はそんな丁寧なリサーチなんかしませんよ、なんせ「昭和」ですから(*`▽´*)。 ![]() で、今回は木古内~五稜郭の間は「平行在来線」という新幹線ルールが適用されるんですが、この区間は青函トンネルからの流れで、貨物列車や寝台列車の通り道になります故レールは外せないのですが、「経営分離」しますよ~ (  ̄3 ̄)b。と、JRさんは言っておるのです。ですから木古内から江差間は経営分離するわけにはいかないのですな。でございますから、もともとほとんど誰も乗らないこの線区はさっさと廃止した方が、赤字を増やさない良策なんでしょうな。 廃止が決まるとなると、わらわら殺到するマニアは必ずやってきます。で、このブームの旬は「1年間」だと言われております。今の計画で言えば、廃止の1週間前にはGWが重なる予定であり、廃止イベント列車を企画するにはもってこいでございましょう。(*`▽´*) この1年でしっかり稼ごうという思惑も大事でございましょうな。 しかし、あたしは言いたい、なくなるのがわかってから乗るのじゃなく、なくなる前にもっと乗りなさいよ・・・・。「孝行したいときに親はなし」という諺が浮かぶのですな。 ↓ お気に入りいただけたら、どれかにクリックをお願いします (〃ゝω・人) ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() にほんブログ村 ![]() スパム防止のため、コメントを承認制にしました。お手数掛けますが、なにとぞご了承ください ▲
by hidemaro2005
| 2013-05-03 11:34
| 函館・道南
|
Comments(0)
1 |
ファン申請 |
||